「含め抱く」ということ。

2015年11月7日

謙翁「ところで宗純……」

 

一休「はい」

 

謙翁「わしはおまえを何度か叩いたことがある…… あれはな、差別の心を叩いたのじゃ」

 

一休「差別……!? 和尚さま! 平等こそ仏法の根本…… わ、私には、そのような気持ちはありません!!」

 

謙翁「そうかな…… では、なぜ心の塵を払いたいという?」

 

一休「え?」

 

謙翁「なぜ浄らかな心に至りたいという? おまえが“チリ”という時“清浄”が、“浄らか”という時“汚れ”たものがおまえの心の中に生まれるのじゃ。おまえが“善き”ものと思う時、おまえの心は“悪しき”ものを生んでいるのじゃ。おまえが“美しい”と感じる時“醜い”ものを生んでいるのじゃ」

 

一休「わ、私の……心が……差別を……生む…… 私の、私の心が…… 私が差別を…… そ、そんな、そんな……」

 

 

 

(『あっかんベェ一休』上巻 坂口尚=著 講談社=刊 より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

もう、ほんとうに、いよいよ、

 

二項対立じゃ、なにも解決しないよなあ……

 

との思いを強めています。

 

 

 

「光が強ければ影も濃くなる」

 

って、割とよく聞く表現だし、常識としてとらえられているけれど、

 

これ、ほんとうにほんとうなのかな?

 

その「影」って、実は自分で作り出してない? っていうお話です。

 

 

 

いや、そりゃ物理的に、なにかに光が当たれば、その後ろに「影」はできますよ。

 

その現象を否定するわけじゃないんです。

 

 

 

ただ、その「影」を厭う自分のこころにこそ、

 

「問題」はあるんじゃないの? って。

 

そこに対する反省が適当になっていること、ないかな? って。

 

 

 

いや、私もね、毎日のブログの締めくくりに

 

「よき日を!」

 

とかって書きますし、

 

私の主催しているTempleっていう集いは、

 

「ほんとう」に触れて“自由”を生きよう

 

っていうテーマのもとに開かれていますよ。

 

 

 

でもね、これ、私としては、

 

「よくない」を想定した上での「よい」とか、

 

「ほんとうじゃない」を想定した上での「ほんとう」とか、

 

決して、そういう意味で使っているわけじゃないんですよ。

 

 

 

そういった二項対立を飛び越えたところにある「第三の解」というか……

 

そういうポイントを指して、「よい」とか「ほんとう」とか言っているんですね。

 

 

 

それで、じゃあ、この「第三の解」に到達するためにはどうすればいいのか?

 

っていうことになりますが……

 

 

 

「含め抱く」

 

 

 

これが、重要な態度になってくるんじゃないかなあ、って。

 

 

 

さっきも言ったけど、光があるところに影は発生します。

 

現象として、発生します。

 

それはそうなんです。それは逃れられないんです。

 

だってそうなっているんだから。

 

影は影として、眼前に、ある。

 

それは確かです。

 

まずはそれを認めることから、です。

 

 

 

その上で、

 

「光」も「影」も、「わたし」のものとして、含め抱いてしまうんです。

 

 

 

「光」も「影」も、「いまここ」にある。

 

すべて、「いまここ」の「わたし」につながっている。

 

つながっている、というより、

 

そもそもすべては、ひとつらなりのものとして、ある。

 

そこに一切の「差」はないんです。

 

その意味で、

 

すべては「わたし」

 

なんです。

 

 

 

すべては「わたし」

 

 

 

だとしたら、もう、

 

 

 

光も、影も、

 

善きも、悪しきも、

 

美しいも、醜いも、

 

強いも、弱いも、

 

勝ちも、負けも、

 

好きも、嫌いも、

 

老いも、若きも、

 

男も、女も、

 

私も、あなたも、

 

 

 

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、

 

ゆったりおおらかに含め抱いて、

 

「愛」に変えてしまう。

 

いや、そもそもの「愛」に戻してあげる。

 

そのほかに、道はないんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

きれいごとを言っているように聞こえるかな?

 

でも、本気で、もう、それしかないと思っています。

 

ひとりひとりが、それをやっていくしかない。

 

 

 

地に足をつけて、下っ肚に力をためて、

 

「愛」そのものとしての「わたし」として、

 

すべてを含め抱き、抱き含めて、「いまここ」を生きていく。

 

 

 

実際にそれをやるんです。

 

やるしかないんだと思います。

 

できるか、できないか。

 

じゃなくて、

 

やるか、やらないか。

 

それだけ。

 

 

 

やってみたら、案外、簡単なことかもしれないよ。

 

 

 

 

 

 

 

ということで……

 

「よき日を!」(笑)