「そういうこともあるでしょう」

2015年11月5日

私は、割とよく、一般にいう「打ち明け話」ってやつを聞かされます。

 

「いままで誰にも言えなかったんだけどね……」とか、

 

「この話をするのはあなたがはじめてなんだけど……」とか、

 

そういう言葉から始まるお話を、切羽詰まった表情の人たちから聞くことが多いのです。

 

 

 

彼らいわく、

 

「あなたはなにを聞いても驚かないで受けとめてくれるから話しやすい」

 

のだそうです……。

 

 

 

いや、私だって驚くことはありますよ!笑

 

でも、確かに、「話の内容」に驚くことはあっても、

 

「その話の主人公となっている目の前のその人」を拒否することは、ないかもしれない。

 

 

 

私は、基本的には、どんなに驚くような話を聞かされても、

 

ベースの部分で、

 

「そういうこともあるよね」

 

「そういうときもあるよね」

 

「そういうことをしちゃうときもあるよね」

 

というスタンスを崩すことはないです。

 

「仕方ないよ、そういう縁だったんだものね」と……。

 

 

 

いや、ほんとうに、

 

ほんとうのほんとうのほんとうに、

 

世の中、縁によって、どんなことだって「起こっちゃう」し、

 

人間、縁によって、どんなことだって「しちゃう」んだと思う。

 

 

 

そして、そういうのって、

 

もう、完全に、人間の意志の範囲外のことなんだと思う。

 

 

 

なにか「事件」を起こしちゃった人は、そういう縁の中にいただけ。

 

「事件」を起こさずに済んだ人は、そういう縁の中にいただけ。

 

 

 

縁の網目の中にどうしようもなく組み込まれている、という点で、

 

前者と後者との間には、一ミリだって差はありません。

 

 

 

ほんと、人間、どんなことだってしちゃうんですよ。

 

ほんとうに、どんなことだって。

 

仕方ないんですよ。

 

縁の網目から外れることはできないのだから。

 

 

 

「はあ? そんなことあるわけないじゃん!

 

自分の行動ぐらい、自分で制御できて当然じゃん!」

 

という考えを持つ人は、

 

そういう考えを持つに至るまでの縁がととのっていただけ。

 

 

 

どこまで行っても縁の中。

 

逃れられないんです。

 

 

 

これを「希望」ととるか「絶望」ととるかも、

 

結局また「縁次第」なわけですが、

 

(逃れられないねえ……)

 

でも、一度、「そういうものだ」と思ってしまえば、

 

こちら側のスタンスは決まってきますよね。

 

 

 

罪を憎んで人を憎まず、じゃないけれど、

 

すべての事象に対して、必要以上のジャッジを加えず、

 

「そういうこともあるでしょう」と受けとめていく。

 

それに付随する自分自身のいろいろな感情すら、同様に受けとめていく。

 

「受けとめられない」という思いさえも、受けとめていく。

 

 

 

そういう態度だけが見せてくれる景色っていうのがあるのだと思う。

 

私は、それを、見たいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

朝晩、めっきり冷えこんできましたね。

 

みなさま、どうか、お風邪など召されませんよう。

 

 

 

よき日をお過ごしください。