昨日、ある方とメールのやり取りをしているときに、
すらすら~っと、
「期待はせずに、でも、希望は捨てずに」
というような表現が出てきて、自分でちょっと驚きました。
だって、これ、まったく、頭で考えた表現じゃなかったから。
こ、この手が勝手に……! と申しますか、
とにかく、気がついたらこういう文面を作っていたのでございました……(合掌)
「期待」と、「希望」。
自分自身、いままでこのふたつを、
明確に使い分けてはこなかったように思うのですが、
あらためて考えてみれば、だいぶニュアンスの違うことばたちですよね。
「期待」は、“遠くの光を目指していく”というイメージ。
「希望」は、“自分が光そのものになってしまっている”というイメージ。
“光になる”と、“光である”でもいいかな。
これ、ぜんぜん違いますよね。
前者は結果志向、後者はプロセス志向というか。
キーワードは“「いま」との親密さ”ということになるかな……。
“光になる” “光である”
なんとなく、後者の方が、
「あったかくて、なつかしくて、ひろがっていく」感じがしますよね。
私は、こっちの方が好きだなあ。
「期待」を持つことは悪いことではないけれど、
(それは時に大きな原動力にもなりますからね。)
それに固執しすぎてしまうと、
どうしても、「いま」がおろそかになってしまう。
「いま」がおろそかになると、
「あったかくて、なつかしくて、ひろがっていく」
という3つのクオリティーとは真逆の方向に進んでしまう、
といったことが起きてくる。
それは、決して、私の望むことではないので……。
心地よく生きていたいから、
私は、「いま」と親密でありたい。
光との距離をゼロにしていたい。
それそのものである自分に気づいていたい。
いや、「ありたい」も、「したい」も、「いたい」も、
「いま」にはなくて、
ただ、
“それそのものである自分を受けいれよう”
うん。
もう、これだけなのかもしれないな。
今日も軽やかに生きていこう。
期待はせずに、でも、希望は捨てずに。
よい一日を!