愛するということ

2015年10月1日

《18歳の俺へ》

 

Q10(キュート)を愛したように 世界を愛せよ

 

 

 

(木皿泉脚本ドラマ『Q10』より)

 

 

 

 

 

 

 

これ、もう何回引用したか分からないんですけれど、とにかく大好きなセリフですね。

 

しみじみ、真実のことばだなあ……と。

 

 

 

誰かを愛するとき、

 

それはそのまま「世界」を愛することになっているわけで。

 

 

 

だってそうでしょう。

 

 

 

自分の愛する人が、

 

自分の愛するような人であるためには、

 

自分の愛する人を形づくってくれた「すべて」の存在が必要であるわけで。

 

 

 

それは文字通り「すべて」で、

 

その人の家族だったり、出身校だったり、

 

昨日食べたなにかだったり、今日送信したメールだったり、

 

かつての恋人だったり、大っ嫌いなあの人だったり、するわけで。

 

そのうちの、どれかひとつでも欠けてしまっていたら、

 

自分の愛する人の存在は、「いま」「ここ」にはないわけで。

 

 

 

それは、その人を愛している「自分」にも言えることで。

 

自分の家族や、出身校や、

 

昨日食べたものや、今日送信したメールや、

 

かつての恋人や、大っ嫌いなあの人や。

 

そのうちの、どれかひとつでも欠けてしまっていたら、

 

「いま」「ここ」で、自分がその人を愛している、という奇跡は成り立たないわけで。

 

 

 

これは、ほんとうに「奇跡」だと思うわけで……。

 

 

 

その「奇跡」を思うとき、

 

「愛する人」を愛するように、「世界」を愛する自分を発見するでしょう。

 

 

 

 

 

素晴らしいな、この「世界」は。

 

 

 

もう、ほんとうに、

 

ほんとうのほんとうに、

 

「ありがとう」

 

ただ、もう、これだけだなあ……。

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。

 

どうか、よき日を。