鼻水も、靴擦れも

2015年9月30日

「私」はいない。

 

すべては「わたし」。

 

 

 

 

 

って、またこの話か! という話なんですけれど、

 

まあ、これさえ伝えることができたのなら、それでもう

 

「ぜんぶオッケー!」

 

というようなところなので、

 

今日も、繰り返し、書きます。

 

 

 

これ、よく勘違いされる部分だと思うのですが、

 

「私」はいない、って言っても、

 

そうだな……

 

たとえば、

 

鼻水が出ないわけでもないし、

 

靴擦れを起こさないわけでもないし、

 

怒りの感情に支配されて、頭の血管ブチ切れそうになることがないわけでもないし……

 

っていうことなんですよ。

 

「私」はいなくても、上記のようなことはふつうに起こります。

 

 

 

でも、なんというのかな……

 

鼻水も、靴擦れも、血管キレちゃう~! も、

 

ぜんぶ、「ただ、起きている」だけのことであって、

 

それを体験している「私」はいないんですよね。

 

 

 

意味、通じているかな……(笑)

 

 

 

「私」がいない、っていうのは、

 

つまりそのまま、

 

(仏教でいう「即」ですね。色即是空、空即是色の「即」。)

 

すべては「わたし」っていうことであって、

 

ほんとうに、すべては、たった「ひとつ」の「わたし」の別々のあらわれであって、

 

その中に、

 

鼻水も、靴擦れも、血管キレちゃう~! も、

 

そして、それを“体験”しているっぽい、この「私」も、

 

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ含まれていて、

 

だから、結局、

 

すべては「わたし」。

 

っていうことになるんですよね。

 

体験者は「わたし」だけ、というか。

 

 

 

意味、通じているかな……(涙)

 

 

 

まあ、通じても、通じていなくても、

 

結局、すべて、「わたし」のあらわれであることには変わりはないので……。

 

 

 

このことを、ふか~いところから、

 

真実、「あ、そういうことだったのか」と理解することができれば、

 

「起きていること」と「私」は、

 

「起きていること」と「あなた」は、

 

そして、

 

「私」と「あなた」は、

 

「わたし」という名の、「ひとつ」になります。

 

 

 

そうなると、もう、「起きていること」への信頼しかなくなってしまいますよね。

 

これこそが、ほんとうの「平和」っていうものなんじゃないかな。

 

 

 

平和は、いつだって、「ここ」からはじまりますね。

 

 

 

 

 

 

 

9月最後の朝。東京は、気持ちよく晴れています。

 

よき日をお過ごしくさいね。