信じるということ。

2015年9月17日

ほんとうになにかを“信じている”ときは、

 

「信じる」ということばも出てこないなあ、と思います。

 

 

 

「信じる」って言った時点で、

 

「信じる私」と、「信じる対象としてのなにか」に分断されてしまう。

 

 

 

私は、◎◎を、信じています。

 

 

 

それ、本当に「ほんとう」かな?

 

ほんとうになにかを“信じている”ときは、

 

「は」も、「を」も、

 

出る幕がないんじゃないかな。

 

 

 

主体も客体もなくなって、

 

ただただ「それ」としてともにある。

 

「私」も、「それ」も、同じ「ひとつ」だと“知っている”。

 

ただ、それだけ。

 

 

 

そう。

 

ほんとうになにかを“信じている”とき、

 

そこにあるのは“知っている”という感覚だけなんじゃないかな。

 

 

 

「わたし」は「それ」だと知っている。

 

「ひとつ」となって、知っている。

 

 

 

ただ、「それ」だけ。

 

 

 

 

 

 

 

東京には、しっかりとした雨が降っています。

 

少し肌寒いかな。

 

お風邪など召されませんよう。

 

今日も、お元気で。