「どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。」

2015年9月10日

急激に聴覚が膨張するような感じがし、そして、一気に何かを突き抜けた……。

 

(あっ……!)

 

一瞬、耳がつまったような感覚があった。

 

「――――――――」

 

突如、だだっ広い場所に、私はいた。

 

ここはどこだろう?

 

私をさえぎるものは何もなかった。

 

手順を間違えてはならないという緊張も、抱え込んだままで常に気にかかっている仕事も、今日帰ったらしなければならない用事も、何もなかった。

 

自分はもっと頑張らなくてはダメだという思いも、他人から好かれ評価されなければ自分は無価値なのではないかという不安も、人に弱みを見られたくないという恐怖感も、消えていた。

 

とてつもなく自由だった。生暖かい大粒の雨を、肌に痛いほど激しく浴びているかのようだ。嬉しくて楽しくて、子どものように歓声を上げながら、目も開けられないほどのどしゃぶりの雨に洗われているみたいだ。こんな自由、今まで知らない。

 

どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。

 

ずーっとここにいたし、どこかに行く必要もなかった。

 

してはいけないことなど、何もない。

 

しなければいけないことも、何もない。

 

足りないものなど、何もない。

 

私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた。

 

(『日日是好日 ―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』 森下典子=著 新潮社=刊 より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

「どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。」

 

 

 

この表現、大好きです。

 

これを読んで、私、お茶を始めました(笑)

 

 

 

私も、まあ、たいてい、調子のいいときは、自分の子宮を中心に、

 

すべてのエネルギーがつながっているのを感じながら生きています。

 

 

 

なんと言うのかな。

 

 

 

地面から、自分というかたちをしたなにかが生え出ていて、

 

自分だけじゃなく、

 

木も、水も、橋も、道路も、車も、カラスも、犬も、人々も、

 

みな同様に地面から生え出ていて、

 

私のあたまはからっぽで、

 

子宮のあたりを中心に、

 

からだがぽかぽかあったかくて、

 

「すべて」とつながっていることを、

 

ただただ、“直に”感じとっている……

 

 

 

なにひとつ、「わたし」でないものはない。

 

 

 

ただ、もう、それだけで、

 

どこへ行く必要もないし、

 

なにをする必要もないし、

 

なにかになる必要もない。

 

 

 

「いま・ここ」で、すべてが完結する世界。

 

 

 

……こんな感じかな。

 

 

 

まあ、もちろん、私だって四六時中その世界に身を浸しているわけじゃないけれど、

 

というか、個としての小出遥子が暴れまわっている時間の方が圧倒的に多いけれど、

 

でも、この「子宮ぽかぽかタイム」(笑)のリアリティーには、

 

筆舌に尽くしがたいものがあって、

 

お香の薫りが、少しずつ衣類に浸み込んでいくように、

 

お茶の作法を思い出さなくても、自然とからだが動くようになっていくように、

 

「ほんとう」が、私をじわじわと包み込んでいくのを、

 

日々、感じたり感じなかったりしながら、生活をしています。

 

 

 

だからなに!?

 

と言われたら、

 

まあ、なにも言えなくなってしまうのですが、

 

でも、ただ、

 

ただただ、

 

「いま・ここ」は、懐かしい場所だよ、と。

 

 

 

「おかえり」

 

 

 

やさしくて、あたたかくて、懐かしい声を、届けられたらいいな。

 

あなたに。

 

 

 

ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

どうか、よき日を。