摩訶般若

2015年9月9日

鏡はどんな小さなものでも、富士山のような大きなものでも映すことができます。何で富士山のようなものが鏡の中に入るのか。なんで太平洋が鏡の中に映ってしまうのか。このアズキよりも小さな瞳孔を通して、私どもの意識の中に入る。太平洋が入る。空を見上げるならば、二千万あると言われる星が、皆な私の小さな目の中に入ってしまう。摩訶般若であります。何もかも入れる余地がある。

 

私どもの意識というものは、空間的には無限の宇宙を抱き込むだけの広さがあり、時間的には人類が発生する前の地球の歴史まで考える。時間的にも空間的にも、無限の広さを持っておるのが、私どもの意識の本質、本体であります。それが摩訶般若であります。

 

私どもは今日、生まれてから覚えた知恵で、毎日の日暮しをし、鼻をつきあわせて、対立の世界に悩んでおります。しかし実は、お互いの根本の意識は、対立を超えた、実に無限の全宇宙を法包容するものである。こう悟ることによって、この矛盾だらけの世の中におりながら、しかもその苦しみから解脱をし、そういうこだわりから救われ、自由を得ていく。何ものにもこだわらない、力強い、たくましい意識で生きていくことができる。そう分かることが摩訶般若であります。

 

大きくして、実に全宇宙をすべて入れる内容であり、しかもすぐれておる。すべてのものを自分の心の中に包容してしまう、こういう大きな摩訶般若の智慧によって、言葉を換えて言うならば、空ということが分かることによって、この苦しい現実がそのまま彼岸になっていくのであります。

 

(『般若心経』 山田無文=著 禅文化研究所=刊 より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

広大な宇宙の中に「いま・ここ」があるのではなく、

 

「いま・ここ」に広大な宇宙が展開している……

 

 

 

わたしは、いつだって、尽一切とともにある。

 

尽一切こそが、わたしだから。

 

 

 

いのちこそが、わたしだから。

 

 

 

 

 

いのちを、生きていきましょう。

 

 

 

摩訶般若――