いまを生きましょう!
……みたいなスローガン、いろんなところで見かけますよね。
私もよく言いますし。
でも、ここで言う「いま」の意味って、
実は、あんまり深く掘り下げられないままに、
発信されたり、受信されたりしているんじゃないかなあ……と。
「いま」って、時間の流れの中にあるわけじゃないんです。
「いま」の中に、時間の流れ(に見えるもの)があるんです。
ここのところ、「◎◎の一つ覚え」のようにして繰り返していますが(笑)
すべては「縁」によって、
瞬間ごとに、
生じては滅し、滅しては生じ、
かつ消え、かつ結びて、
ひさしくとどまりたるためしなし、
なんですよね。
ほんとうに、「すべて」は、一瞬のあらわれに過ぎないんです。
そして、それが起こっている舞台が、
「いま」である、と。
「過去は確実にあるよ!」と思うのなら、
「過去は確実にある」という思考が、
「いま」湧いているだけ。
「未来はここと地続きだよ!」と思うのなら、
「未来はここと地続きだ」という思考が、
「いま」湧いているだけ。
すべて、「いま」起こっていることなんですね。
そういう意味で、「いま」には無限の広がりがあります。
この「いま」には、過去も、未来も、私も、あなたも、右も、左も、上も、下も、
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ!
文字通り「すべて」が、入っているんです。
でも、
過去→いま→未来
という風に、時間の流れの中に「いま」というものを置いてしまうと、
それは、一切の広がりを持たない、窮屈で息苦しい、
たったひとつの点に過ぎないものになってしまう……。
ほんとうの意味で「いま」を生きるっていうのは、
いま! いま! いま! いま!
過去も未来も幻想!
この瞬間しかない!
いま、この瞬間に集中するんだ!!!
って力むことなんかじゃなくて、
無限の広がりを持つ「いま」に、
自分自身を開いていこうとすること。
なんじゃないかなあ。
「過去」も「未来」も排除しないあり方、というか。
「過去」や「未来」をも含めたあらゆるすべてを浮かべている「いま」こそが、
「自分」のほんとうの姿。
それを自覚した上で、
一切の「力み」を手放して、
ただただ「いま」あるすべてと、ともにあろうとすること。
それが、
「いま」を生きること
なんじゃないかな、と。
ゆるんで、ひらいて、くつろいで。
ただただ、「いま」を生きていこう。
よき日を!