お酒をまったく飲まなくなって、今日で丸一年です。
いや、ほんと、以前の私、完全にお酒の海に溺れていましたからね……。
最盛期(?)は、毎晩、ビールのロング缶を最低3本は空けてから眠りに就いていました……。
ほんと、なんであんなに飲んでいたんだろう……。
まあ、それはともかくとして、一周年ですよ。
はじめは、「とりあえず100日間限定でお酒をやめてみよう」と思ってスタートしたのですが、
その100日の間に、私的に大きな出会いがいくつかありまして。
その中の二人の男性が、たまたま、「完全にお酒やめました」系の人たちで。
彼らの佇まいがね、なんというか、とても清潔な感じがしたのですよね。
清潔というか、透明というか。
それに深い感銘を受けまして。
「私もかくありたいものだ!」と。
で、「100日限定と言わず、もう一生、一滴もお酒は飲むまいよ」
「今生では、お酒、完全に引退だ! 来世でまた会いましょう。ごきげんよう!」
……ということで、今日この日を迎えるに至ったわけです。
以前、あれだけ飲んでおいてアレなんですが、
もう、いまとなっては、まったくお酒を欲していないです。
ほんとうに、一滴も、いらないです。
人間って変わるものですね。
でも、なんというか、これも、「縁」としか言えないな~、と思います。
お酒に溺れていた頃は、そういう縁だったのだろうし、
お酒をやめたいまは、そういう縁なのだ、と。
ただ、それだけなのだろうな、と。
ちょっと前までは、私も、
お酒とか、コーヒーとか、甘いものとか、
そういうの、ぜんぶ、やめるもやめないも自分次第!
そんな風に思い込んでいました。
やめたいのにやめられないのは、その人の意志が弱いからだ、と。
でもね、たぶんそうじゃない。
きっと、「やめる」も「やめられない」も、ぜんぶ縁次第なんです。
浴びるようにお酒を飲んでいた頃は、
「飲まなきゃやってられない理由」っていうのが自分の中にあって、
その理由っていうのも、
「仕事がうまくいかない」とか」「人間関係がわずらわしい」とかそういうので、
完全に、なんというか、「外的要因」だったわけで、
本人的には、それは、完全に、「避けられないもの」だと思っていたわけで、
ならば「飲んで忘れるしかない!」わけで……。
実際、あの頃は、お酒がないと眠れない、という状況だったわけで、
ほとんど睡眠薬のようにして、アルコールを摂取していたわけで……。
これと同様、お酒をやめるときも、たまたま、縁が整ったというだけで、
そこに「私」の意志というものは、実は、まったく介入する余地はなかったのではないかな、と。
たまたま、お酒をやめる直前に、体調を悪くしていて、
たまたま、「調子を良くしたいなら、アルコールを控えること」という情報を聞いて、
たまたま、それがストンと腑に落ちて、
たまたま、「じゃあ、とりあえず100日限定でやめてみよう」という思考が湧いて、
たまたま、お酒をやめた方々と接する機会があって、
たまたま、彼らの佇まいに惹かれるものを感じて、
たまたま、「もう一生飲むまいよ」と決意して、
たまたま、それ以降、一切、お酒を飲まずにすんでいる……
ただ、それだけのことで、実は、そこには、
「えらい」も「えらくない」も、
「意志が強い」も「意志が弱い」も、
まったくないんじゃないかなあ、と。
お酒をやめたら、酔っ払いに対して不寛容になってしまうような気もしていましたが、
結果はまるっきり逆でしたね。
むしろ、「そういうこともあるよね」と、やさしい気持ちが広がっている気がします。
自分は、たまたま、お酒をやめるという縁の中にいただけ。
彼らは、お酒を飲み続けるという縁の中にいるだけ。
縁起のネットワークの中に、どうしようもなく組み込まれている、という点では、
私と彼らとの間に、一切の違いはないです。
これに気づけただけでも、お酒をやめてよかったです。
ということで、これからも、ご縁がそのようである限り、
お酒は一滴も飲みません!
朝っぱらから酒臭いエントリーで恐縮でした……。