ほんの一年ほど前までは、自分が主催者の立場として、お寺でイベントを開くことになるだなんて(しかも定期的に!)、1ミリも思っていませんでした。
ほんと、これ、ご縁の不思議、としか言いようがないのですが……。
昨晩、神谷町光明寺にて、Temple vol.4を開催させていただきました。
今回から完全に招待+紹介制のイベントに移行いたしましたので、
大々的には告知はしてこなかったのですが、
少人数ながら、かなり深く、熱い(?)対話の時間を持つことができたように思います。
参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
この実験的なイベントをはじめたばかりの頃は、
私は、もう、ほとんど「自信」というものがなくて、
イベントをどうにかかたちにするだけで精一杯……といった感じだったのですが、
そのときに、Templeを一緒に作っているお坊さんがかけてくださったことばが忘れられません。
「ぜんぶ、阿弥陀さまにおまかせしてしまえばいいんですよ」
浄土真宗のお寺にお世話になっているので、ここに「阿弥陀さま」というワードが出てきたのだと思うのですが、
このことば、回を重ねるごとに、どんどん深く、自分の中に浸透していきます。
ほんとうに、すべて、阿弥陀さまがやってくださっていることで、
「私」ができることなんか、なにもないのだよなあ、と。
これ、決して、
「阿弥陀さま」という名の、一体の人格的な仏さまがいて、
その人が(人じゃないけど)魔法の力を使って、
イベントのすべてをうまく運んでくれる……
とか、そういう話じゃないです。
なんと言うのかな。
だから、そうですね、究極的には、
イベントを開いた私も阿弥陀さまだし、
お坊さんも阿弥陀さまだし、
参加者の方々も全員阿弥陀さまだし、
そこで語られたことばたちもすべて阿弥陀さまだし、
会場となったお寺そのものも阿弥陀さまだし、
だから、ほんとうに、
阿弥陀さまでないものはないんです。
すべて、ひとつの「阿弥陀さま」というエネルギーのあらわれなんです。
……と、いうことですね。
ふふふ。
「と、いうことですね」と言ったってね。笑
ほんと、ぜんぜんうまく言えないのですが、
「だってそうなんだもの」
と言うしかないというか、
ほんとうのほんとうに、それしかない、というか……。
イベントを開いていると、その間、何度も何度も、
「そうだった。“ここ”には、阿弥陀さま(と呼ばれるなんらかのエネルギー)しかなかった」
と実感する瞬間があるんですね。
空間中に「阿弥陀さま」が満ち満ちていて、
満ち満ちすぎていて(変な日本語)
“ここ”に、私のはからいを差し挟む余地は、まったくないよ、と。
ほんとうに、
ぜんぶ、“それ”として、“いま・ここ”に在るだけなのだな、と。
私の役割は、「私」をなくして、それをただただ見つめることだけだな、と。
ほんとうに、すべて、「おまかせ」してしまうだけだな、と。
ただただ、そんな風に思うのです。
これ、ほんとに、まったく神秘的な話なんかじゃなくて。
ごくごく普通に、なんの高揚感もなく、地に足をつけたままに、
ただただ、
「そうなんだよなあ」
と、しみじみ、実感してしまうのです……。
いや、ほんと、うまく言えないのですが、
まあ、とにかく、こころの底から、
「阿弥陀さまにおまかせ」
と思えるようになったのは、
というか、そう思うことを自分自身に許可できるようになったのは、
私にとって、大変な僥倖でした。
なんせ、楽です。笑
私が、なにかをしようと思わなくてもいいっていうのは、楽ですね。
はからいを手放したところに、流れはすでに用意されている。
私は、ただ、それに乗っかっていればいいだけ。
ありがたいなあ、と、しみじみ、思います。
「おまかせ」で生きていこう、と、あらためて。
南無阿弥陀仏
※ちなみにTempleのフェイスブックページはコチラです→https://www.facebook.com/temple00001
Templeは招待+紹介制のイベントです。ご興味をお持ちくださった方は、まずはMorning Templeにお越しくださいませ。