お盆があけまして、このブログも今日から通常営業です。
このお盆休み中、ちょっとびっくりするようなことがありまして。
「え~!? うそ~!?」と思うような出来事が、私の身の上に降りかかってきたのです。
「一般的な人間の人生に、一度起こるか起こらないか」ぐらいの、割と大きな出来事です。
……が。
ががが!
瞬間的にこころが乱されたものの、即座に平常モードになっていた私……。
あまりに淡々としている私に、周りの方がびっくりしていました。
この出来事から、私、学びました。
つくづく、苦しみって、状況によって与えられるものじゃないのだよなあ……と。
「誰か」とか、「なにか」とか、「出来事」とかのせいで、苦しみが生じるわけじゃない。
自分が苦しいのは、いつだって、自分のせい、なんですね。
自分自身が〝苦しみ製造機”として生きているから、
「誰か」や「なにか」や「出来事」に反応して、
なんでもかんでも苦しみに変えてしまうんです。
すごく厳しいこと言いましたけど。
でも、まずはその事実を認めないことには、いつまで経っても苦しみは消えてくれません。
前もこのたとえは使いましたが、苦しみって台風のような構造をしているんですよね。
中心部に近づけば近づくほど、雨や風は激しくなる。
でも、そのど真ん中には、いつだって完全なる静寂が広がっている。
そして、いざ、その静寂に身を浸してしまえば、台風自体が消滅してしまうんですね。
苦しいときは、とことん自分と向き合うチャンスなのだと思います。
中心に近づけば近づくほど強くなる雨や風に、ひるんだり、くじけそうになることもあるでしょう。
でも、だからと言って、周辺に逃げていても解決にはなりません。
いつかは、じっくりと腰を据えて、「自分」と向き合わないといけないのだと思います。
自分はどうしてこんなに苦しいのか。
自分が苦しいのは、ほんとうに状況のせいなのか。
そして、なによりも、
自分が自分と呼んでいるこの「自分」とは、いったいなにものであるのか。
厳しい道です。
でも、そこにしか「救い」はない。
だから、ただただ、がんばれ、と。
ぜったいに、大丈夫だから、と。
いのりを捧げることしかできないなあ……。
私は、大丈夫です。
苦しみからフリーになった「あなた」と再び会える日を、楽しみにしています。