理由のある幸せは、形を変えた不幸である

2015年7月31日

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 

(鴨長明著 『方丈記』 より抜粋)

 

 

 

 

 

最近、こんなことばを知りました。

 

「理由のある幸せは、形を変えた不幸である」

 

インド哲学の一派、ヴェーダンタのことばだそうです。

 

いやー……恐ろしいほどに真理をついたことばですね……。

 

我が身を振り返っても……もうね、黙ってうなずくしかないです……。

 

真理を突きすぎて、もはや、痛みを感じるぐらいです……。

 

 

 

で。これまた最近知って「これは……!」と膝を打ったのが、

 

仏教で言う「苦」(dukkha)というのは、しばしば、「unsatisfactoriness」と英訳されるという事実。

 

「unsatisfactoriness」、つまり「不満足」っていうことですね。

 

すべては「縁」によって起こるものであり、

 

つまり、一切の現象は「無常」なのであり、

 

それゆえに、その上に生じては滅し、滅しては生じるなにかに対象を定めた欲望は、

 

いつまでたっても完璧に満たされることがない。

 

結果、そこに立ち続ける限り、永久に「苦」からは抜け出せない……。

 

それが、仏教思想の基本構造です。

 

 

 

この「苦」の無限ループから抜け出すためには、

 

「苦」が生み出される構造をまずは逃げずに見つめること。

 

そして、「ほんとうのしあわせ」=「ほんとうの満足」とは、

 

『方丈記』に言う「よどみに浮かぶうたかた」の方にあるのではなく、

 

つまり、「理由のある幸せ」の方にあるのではなく、

 

ほんとうの自分は、「うたかた」を浮かべて流れゆく「河」そのものだった!

 

つまり、「しあわせ」は、存在そのものの本質として、どうしようもなく備わっているものだった!

 

という気づきによってもたらされるのだということを、

 

深~~~いところから、理屈を超えて、理解すること。

 

それだけしかないのだと思います。

 

 

 

苦しいときは、苦しみのど真ん中を見つめること。

 

「見つめる」のは、怖いような気もしますが、

 

でも、逃げていたらもっと怖いことになります。

 

それに、恐怖は、実は一瞬で過ぎ去ります。

 

大丈夫です。

 

まずは、落ち着いて、見つめることから。

 

その先にしか、「ほんとうのしあわせ」=「ほんとうの満足」はないのだから。

 

 

 

 

 

よい一日を。