ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
(鴨長明著 『方丈記』 より抜粋)
最近、こんなことばを知りました。
「理由のある幸せは、形を変えた不幸である」
インド哲学の一派、ヴェーダンタのことばだそうです。
いやー……恐ろしいほどに真理をついたことばですね……。
我が身を振り返っても……もうね、黙ってうなずくしかないです……。
真理を突きすぎて、もはや、痛みを感じるぐらいです……。
で。これまた最近知って「これは……!」と膝を打ったのが、
仏教で言う「苦」(dukkha)というのは、しばしば、「unsatisfactoriness」と英訳されるという事実。
「unsatisfactoriness」、つまり「不満足」っていうことですね。
すべては「縁」によって起こるものであり、
つまり、一切の現象は「無常」なのであり、
それゆえに、その上に生じては滅し、滅しては生じるなにかに対象を定めた欲望は、
いつまでたっても完璧に満たされることがない。
結果、そこに立ち続ける限り、永久に「苦」からは抜け出せない……。
それが、仏教思想の基本構造です。
この「苦」の無限ループから抜け出すためには、
「苦」が生み出される構造をまずは逃げずに見つめること。
そして、「ほんとうのしあわせ」=「ほんとうの満足」とは、
『方丈記』に言う「よどみに浮かぶうたかた」の方にあるのではなく、
つまり、「理由のある幸せ」の方にあるのではなく、
ほんとうの自分は、「うたかた」を浮かべて流れゆく「河」そのものだった!
つまり、「しあわせ」は、存在そのものの本質として、どうしようもなく備わっているものだった!
という気づきによってもたらされるのだということを、
深~~~いところから、理屈を超えて、理解すること。
それだけしかないのだと思います。
苦しいときは、苦しみのど真ん中を見つめること。
「見つめる」のは、怖いような気もしますが、
でも、逃げていたらもっと怖いことになります。
それに、恐怖は、実は一瞬で過ぎ去ります。
大丈夫です。
まずは、落ち着いて、見つめることから。
その先にしか、「ほんとうのしあわせ」=「ほんとうの満足」はないのだから。
よい一日を。