ドアノブを回したら

2015年7月29日

昨日、家の玄関のノブを回して、ドアを開いた瞬間、はっとしました。

 

目の前に見えているものが、

 

家の中の風景から、

 

家の外の風景に、

 

一瞬で切り替わったからです。

 

……って、「いや、当たり前だろ!」って言われそうなお話しなんですけど。

 

 

 

でも、これって、ほんとうに「当たり前」なのかな?

 

ちょっと立ち止まって感じてみると……

 

これ、実は、ぜんぜん「当たり前」なんかじゃないですよ。

 

 

 

だって、ノブをひねって、ドアを開けたら、一瞬で見える「世界」が変わったんですよ?

 

そこに、私自身の意思は一切なかった。

 

私は、「見よう」ともしていなかった。

 

目をカッと見開いて「見てやろう!」と力むこともしていなかった。

 

なのに、目の前の「世界」は一変してしまった。

 

「私」が“意志”をもって「見る」ということが起こる以前に、

 

いや、「見る」という行為をした、という“認識”が「私」に起こる以前に、

 

「世界」はすっかり変わっていたんです。

 

「私」が「見る」ということを経験する前に、

 

「私」を超えたところにある「わたし」(としか呼べないなにか)が、

 

すっかり変わった「世界」に、気づいていたんです。

 

 

 

私たちは、通常、

 

見る、聞く、嗅ぐ、味わう、感じる……

 

などの感覚を、「私」の身体で感じることによって、

 

「私」が、なにかを、経験した、

 

そして、そこから「世界」は始まっていく、

 

そんな風に認識していますよね?

 

そして、それが「普通」だと思っています。

 

それこそ、「当たり前」だと思っています。

 

 

 

でも、実際は、すべて、

 

この「私」が、

 

「見る」までもなく、

 

「聞く」までもなく、

 

「嗅ぐ」までもなく、

 

「味わう」までもなく、

 

「感じる」までもなく、

 

ただただ、起きているんです。

 

「私」の「意志」や「行為」とはまったく関係なく、

 

すべては、ただただ、起きているんです。

 

どこで?

 

「いま」「ここ」で。

 

 

 

ノブをひねって、ドアを開けたら、

 

一瞬前とはまったく違った「世界」が目の前に広がりました。

 

まったく違った「世界」を、「私」は、「見」ました。

 

それでは、その「見る」ということは、いったいどこで起きましたか?

 

「見」た、その対象はどこにあるか? じゃないですよ。

 

「見る」ということが起きた場所、です。

 

それは、どこですか?

 

そう。

 

「いま」「ここ」ですね。

 

 

 

すべて、「いま」「ここ」で起きているんです。

 

「私」の「意志」や「行為」以前に、

 

すべては、

 

ほんとうにすべては、

 

「いま」「ここ」で、

 

生じては滅し、滅しては生じ……を繰り返しているんです。

 

 

 

生じては滅し、滅しては生じ……を繰り返す「すべて」に、

 

「いま」「ここ」で気づいているのは、

 

この「私」?

 

……じゃないですよね。

 

この「私」は、「いま」「ここ」には決していられないんです。

 

さっき見たように、この「私」は、すべてにおいて、

 

「見る」や「聞く」などの経験を通して、

 

いや、「私」が、その経験をしている、という(頭での)認識をもって、

 

「私」というものを成り立たせているから。

 

でも、ほんとうは、「私」が頭でなにかを「認識」する前に、

 

すべては、「いま」「ここ」で、起こっている。

 

すべては、「私」不在のうちに起こっているんです。

 

 

 

となると、「いま」「ここ」で起こっているすべてに気づいているのは、

 

「私」、などではなく、

 

「私」を超えたところに在る「わたし」、

 

永久に不変で不滅の「わたし」、

 

ということになりますよね。

 

 

 

「いま」「ここ」には、「わたし」しかいない。

 

というか、「いま」「ここ」が、そのまま、「わたし」なんです。

 

 

 

個別の「私」でなく、すべてとしての「わたし」として生きていくことは可能です。

 

感覚の「対象物」ではなく、

 

ただ、「感じている」ということ、そのものに寄り添ってみるんです。

 

「いま」「ここ」で起きていることを知りたいのなら、

 

「いま」「ここ」で起きていること、そのものに寄り添ってみるんです。

 

 

 

そこから、ほんとうの意味で、「世界」は開けていきます。

 

 

 

 

 

良い一日をお過ごしください。