「気づき」「すべて」「わたし」

2015年7月28日

すべては「いま」「ここ」で起きていて、

 

「いま」「ここ」以外でなにかが起こることなんかあり得なくて、

 

「わたし」は「いま」「ここ」で、いつだって「気づき」と共にあって、

 

というか、その「気づき」自体が(ほんとうの)「わたし」であって、

 

対象と離れてそれに気づいている(個別の)「私」などどこにも存在しなくて、

 

「気づき」と「(対象としての)すべて」と「わたし」とはいつだってセットになっていて、

 

それは決してばらばらなものとして切り離せるものではなくて、

 

そうかと言って「ひとつ」としてある、という表現も正確ではなくて、

 

でも決して「ふたつ以上」としてあるわけでもなくて、

 

そこに在るのは、ただただ「気づき」として「在る」「すべて」、

 

「すべて」としての「わたし」、

 

「わたし」としての「気づき」、

 

「気づき」「すべて」「わたし」が、

 

「ひとつ」でも、「ふたつ以上」でもなく、

 

ただただ「それ」として、そのままに、「在る」、

 

なくてある、ないからこそある、ないというかたちである、

 

あってない、あるからこそない、あるというかたちでない、

 

そんな「いま」「ここ」を生きています。

 

誰もが。

 

ひとり残らず。

 

ぜったいに。

 

 

 

だから、

 

安心していていいんです。

 

 

 

 

 

 

 

すばらしい一日を。

 

うつくしい一日を。