すべては「いま」「ここ」で起きていて、
「いま」「ここ」以外でなにかが起こることなんかあり得なくて、
「わたし」は「いま」「ここ」で、いつだって「気づき」と共にあって、
というか、その「気づき」自体が(ほんとうの)「わたし」であって、
対象と離れてそれに気づいている(個別の)「私」などどこにも存在しなくて、
「気づき」と「(対象としての)すべて」と「わたし」とはいつだってセットになっていて、
それは決してばらばらなものとして切り離せるものではなくて、
そうかと言って「ひとつ」としてある、という表現も正確ではなくて、
でも決して「ふたつ以上」としてあるわけでもなくて、
そこに在るのは、ただただ「気づき」として「在る」「すべて」、
「すべて」としての「わたし」、
「わたし」としての「気づき」、
「気づき」「すべて」「わたし」が、
「ひとつ」でも、「ふたつ以上」でもなく、
ただただ「それ」として、そのままに、「在る」、
なくてある、ないからこそある、ないというかたちである、
あってない、あるからこそない、あるというかたちでない、
そんな「いま」「ここ」を生きています。
誰もが。
ひとり残らず。
ぜったいに。
だから、
安心していていいんです。
すばらしい一日を。
うつくしい一日を。