セミの声は「どこ」で聴こえる?

2015年7月25日

早朝ですが、すでにセミの声が聴こえます。

 

セミは、窓の向こうの木の枝にしがみついて、そこで鳴いています。

 

“私”とセミとの間には、直線にして、数メートルの距離があります。

 

でも、その鳴き声は聴こえています。

 

その鳴き声が、「いま」「ここ」で聴こえています。

 

セミは「少し離れた場所」にいて、そこで鳴いています。

 

でも、その鳴き声が聴こえるのは、「いま」「ここ」です。

 

「聴く」ということが起きているのは、「いま」「ここ」です。

 

 

 

“私”とセミとの間には距離があるように思えます。

 

でも、ただただ、「聴く」ということだけを追ってみれば、

 

“私”とセミの鳴き声との間に、一切の距離はありません。

 

 

 

セミの声が聴こえています。

 

“私”が「意志」をもって、それを「認識する」までもなく、「聴こえる」ということが起きています。

 

「認識する」ことと、「聴こえる」こととの間に、一切のタイムラグはありません。

 

 

 

距離やタイムラグを作っているのは、“私”の思考です。

 

思考を取っ払って、ただただすべてを「そのまま」に感じてみれば……

 

上記の例で言えば、「聴く」ということと、「そのまま」共にあってみれば……

 

ほらね。

 

すべてが、「いま」「ここ」で起きていることが明らかになるでしょう。

 

「いま」「ここ」以外で、なにかが起こることなど、あり得ないのです。

 

 

 

ここでポイントになるのは、すべて、“私”不在のままに起きている、ということです。

 

“私”が「認識しよう」という「意志」をもって働きかける前に、

 

すべては、「いま」「ここ」で、すでに起きているんです。

 

 

 

ただ、“私”不在のままに、すべてが起きていることを認識している“なにか”はある(いる)のです。

 

その“なにか”こそが、「ほんとうのわたし」です。

 

「ほんとうのわたし」とは、つまり、「いま」「ここ」のことだったのです。

 

 

 

ほんとうに単純なお話です。

 

「いま」「ここ」にいなくちゃ!

 

そんな風に力まなくても、

 

すべては、すでに、「いま」「ここ」で……。

 

 

 

 

 

今日も暑くなりそうですね。

 

よい一日をお過ごしください。