女性「性」について。

2015年7月22日

いろんなところで言われていることだけれど、

 

女性性というのは、

 

これからの時代の、ひとつの大きなキーワードになっていくと思います。

 

 

 

ポイントは女性性っていうところですね。

 

女性、じゃないんです。女性「性」、なんです。

 

 

 

女性性は男女の区別なく、誰にでも平等に備わっています。

 

発揮されているかどうか、の違いがあるだけで、それを持たない人はいません。

 

 

 

だから、男性でも、ちゃんと女性性を発揮している人はいるし、

 

逆に、女性でも、それをうまいこと発揮できていない人もいる。

 

それもぜんぶ個性なので、良いとか悪いとか言うつもりはまったくないけれど、

 

でも、やっぱり、あたらしい時代を作り上げていくのは、

 

自分の中の女性性のエネルギーを、いかんなく発揮していけるような人なんじゃないかな、と。

 

 

 

女性性っていうのは、統合のエネルギーです。

 

いや、統合とか言うと、どうしても「1+1=2」みたいなイメージになってしまうけれど、

 

そうじゃなくて、そもそもそれが「1」と「1」とに分離する前の、

 

「それ」そのものとしての、「ありのまま」の、原初のエネルギー、

 

あえて数字にするのならば、「1」でも「2」でもない、

 

「0」のエネルギー、ということになるのかな。

 

 

 

男性も、女性も、すべての人間は、女性が生みます。

 

これって、ちょっとすごいことだと思うんです。

 

なんで女性が男性を生むの?

 

なんで男性が女性から生まれてくるの?

 

考えれば考えるほど不思議なお話です。

 

 

 

でも、これ、頭で考えようとするから不思議なんでしょうね。

 

これは、ただ「感じる」だけでいいところなのかもしれない。

 

たぶん、赤ちゃんを生み出すときのお母さんっていうのは、

 

もはや、男性/女性の区別を超えた、「0」の存在になっていると思うんです。

 

そうでなかったら、女であるお母さんから、男の赤ちゃんが生まれることの説明がつかない。

 

 

 

すべてのはじまりとしての「0」。

 

女性性っていうのは、このイメージですね。

 

男と女、光と闇、善と悪、美と醜、優と劣、人と神仏、人と自然、私とあなた……

 

これらの区別を超えたところに、ただただ「それ」として、「ありのまま」にある、

 

すべての存在の「みなもと」、「ふるさと」としての、「0」。

 

 

 

数字同士が競い合う時代は、きっと、もう、終わりかけています。

 

二項対立じゃ、なにも解決しない。

 

「1」も「2」もなく、ただただ「0」。

 

「0」からすべてを眺め渡してみたときに、

 

まったくあたらしい世界が生まれてくるのでしょう。

 

 

 

みなもととしての「0」を感じてください。

 

感じることから、すべてははじまっていくのだと思います。