「正しい」より「楽しい」を。

2015年7月20日

「正しい」より「楽しい」を。

 

といったようなことば(スローガン?)を最近、いろんなところで目にしますが、

 

これ、まったくその通りだと思います。

 

 

 

はたから見ていて「なんだか苦しそうだな……」と感じるような人は、

 

たいてい、「正しさ教」の信者さんです。

 

自分の外側に絶対的な「正しさ」っていうのがあって、

 

それに自分を沿わせていくような生き方を取ってしまう……

 

そして周りにもそれを求めてしまう……

 

無意識にそんな生き方をしてしまっている人たち。

 

 

 

なにを隠そう、私自身、この「正しさ教」の熱心な信仰者だったから分かるんです。

 

いつだって、自分に対しても、他人に対しても「正しさ」を求めて、

 

口を開けば二言目には

 

「こうするべき」、「ああするべき」、

 

「べき」「べき」「べき」……。

 

これは、大変な生き方です。

 

でも、本人は完全に視野狭窄に陥っているがために、

 

それ以外の生き方があるだなんて、まったく思いつきもしないものだから、

 

とにかく意固地になって、というかほとんどイジけて、

 

「誰に教えられたわけでもない教え」にしがみついてしまう……。

 

ずっとそんなことをやっていたように思います。

 

 

 

これ、ものすごく苦しい生き方なんです。

 

なぜなら、「正しさ」なんて、ほんとうはどこにも存在しないから。

 

ほんとうはどこにも存在しないものを信じるって、

 

そりゃあ大変なことですよ。

 

それってつまり、「嘘を重ねる」っていうことに他ならないですからね。

 

誰に対する嘘? 自分自身に対する、です。

 

四六時中、自分に嘘をつきつづけるような生き方なんて、苦しいに決まっています。

 

 

 

「正しさ」なんて、ほんとうはどこにも存在しない、と書きましたが、

 

これ、ちょっと正確ではないですね。

 

「正しさ」なんて、ほんとうは外側のどこにも存在しない、

 

が、正解かな。

 

(あ、「正確」とか「正解」とか「正」って字使っちゃった!笑)

 

 

 

もし、「正しさ」というものが存在するのだとしたら、

 

外側のどこか、ではなく、自分の内側にこそ、見つかるものなんじゃないのかな、と。

 

そして、自分の内側の「正しさ」っていうのは、

 

つまりは、「楽しさ」ということになるんじゃないかな、と。

 

 

 

自分が、心底「楽しい」と感じられることをやっているとき、

 

その人には嘘がありません。

 

嘘がないと、「楽」なんです。

 

「楽」っていうのは、どこにも余分な力みがない状態。

 

力みがないっていうのは、「あるがまま」っていうこと。

 

つまり、それが「自然」だし、「自由」っていうことです。

 

 

 

「正しい」は「苦」、つまり「自由」を奪うもの。

 

「楽しい」は「楽」、つまり「自由」を与えるもの。

 

どっちを選んでも良いのだとしたら、どっちを選びますか。

 

ほんとうに、どっちを選んでもいいんです。

 

選択権は、自分にあります。

 

 

 

まずは、自分を見つめることから、ですね。

 

自分がほんとうに望んでいるものをクールに見極めて、そこからすべてを選んでいってください。

 

自分にそれを許可するのは、ほかでもない、自分自身です。

 

 

 

 

 

深刻さは不要です。楽に生きていいんです。

 

どうか、心底望む生き方を。