ぜんぶそこにある

2015年7月19日

以前もこのたとえは使いましたが……

 

『ルビンの壺』っていう有名な絵がありますよね?

 

コレですね↓

 

rubin

 

 

 

なにを描いた絵に見えますか?

 

杯のようなもの?

 

それとも向かい合った二人の横顔?

 

……これ、どっちも正解なんですね。

 

 

 

絵の白い部分に注目すると、杯のようなものが浮かんできて、

 

黒い部分に注目すると、向かい合った二人の横顔のシルエットが浮かんでくる……

 

それだけ。

 

どっちも正解です。

 

 

 

でも、これ、不思議なことに、

 

「杯」が見えているときには、「向かい合った二人の横顔」は見えてこず、

 

「向かい合った二人の横顔」が見えているときには、「杯」は見えてこないんです。

 

ほんとうに不思議です。

 

ぜんぶそこにあるのにね。

 

なんで見えてこないんだろうね?

 

 

 

でも、「ぜんぶそこにある」からこそ、

 

なにかのはずみで「もう片方の世界」が見えたりするんですよね。

 

「え? これ、杯の絵でしょ? 人間の横顔なんてどこにも見えないけど!?」

 

と言っていた次の瞬間、

 

「あ、見えた! 見えちゃった! これ、人間の横顔を描いた絵だったんだ!」

 

ということも起こり得る。

 

逆もまた然り。

 

 

 

「ぜんぶそこにある」んです。

 

どんな世界だってあるんです。

 

でも、私たちは、どうしたって、いま自分に見えている世界だけが、

 

「唯一の世界」と信じ込んでしまいます。

 

 

 

「この絵には、杯が描かれています」

 

はい、正解。

 

「この絵には、向かい合った二人の横顔が描かれています」

 

これも正解。

 

 

 

でも、

 

「この絵には、杯だけが描かれています」

 

これは不正解。

 

「この絵には、向かい合った二人の横顔だけが描かれています」

 

これも不正解。

 

 

 

「だけ」ってことはないんです。

 

「ぜんぶそこにある」んです。

 

 

 

「ぜんぶそこにある」

 

それが、ほんとうです。

 

そこに、ほんとうの自由があります。

 

 

 

自由を、生きていきましょう。

 

 

 

 

 

よい日曜日を!