ちょっと不思議な夢見たの
私は宇宙飛行士で あなたは農夫
麦わら帽子に送られて
私は元気に飛び立つの
空の青さ 重さ 時間の果てしなさ 地球の遠さ
コンピューターのかすかな唸り…
あなたの育てたトマトの匂い
イオンのパルスは順調よ
きょうも宇宙ラジオに あのリクエスト
アルデバランが輝いて
星座がこんなに騒ぐから
星の運河 彗星たちの渡り鳥 沙漠の影
小惑星群のヒツジたち…
あなたのTシャツ レタスの匂い
(「うちゅうひこうしのうた」 坂本真綾=歌 一倉宏=詞 より抜粋)
「私、死ぬのがまったく怖くないので」
昨日ある方とお話ししていて、あまりにするっと上記のことばが出てきて、
自分でちょっと驚きました。
ああ、私、本当の本当の本当に、「死」に対する恐怖心がないんだな、と。
まあ、これもぜんぶ“(自分の)死”という、絶対にとれないカッコ付きですけどね。
いやですよ、大切な人の死は。
痛くて痛くて痛くて、想像するだけで涙があふれて止まらなくなるぐらい、いや。
ものすごく、いや。
いやでいやでたまらない。
そんなのは当たり前のことです。
でも、自分が死ぬことは、本当の本当の本当に、一ミリも怖くない。
死は「出立」ではなく、「帰還」。
「ただいま」と笑顔を浮かべると、
「おかえり」と手を広げて待ってくれている場所がある。
だから、なにも怖くない。
決して頭だけの理解で言っているわけじゃないです。
おなかの底から、上記のことを、確信しているんです。
「確信」なんてことばじゃ追いつかないぐらい、
わたしは、ただ、そのことを「知っている」。
だから、本当に、ちっとも怖くない。
このブログでも、過去、幾度も幾度も書いていることだけど、
時折、ふいに、完全に、「死んだ人」の目線で、この世のすべてを眺め渡していることがあって。
ただただ、ひとつの透明な目となって、宙に浮かんでいる感じになるんです。
そこには、
空も、時間も、地球も、
恒星も、星座も、小惑星群も、彗星も、
コンピューターの唸りも、
あなたのTシャツも、
トマトの匂いや、レタスの匂いも……
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、ただそこにあって、
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、そこでは並列で、
そこには一切の差がなくて、
ただただ、
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、
ぜんぶが、「愛おしさ」としてある、
そんな感じになるのです。
ただただ、「生きて欲しいな」と、願うばかりになるのです。
あの「愛おしさ」を知っているから、私は、死ぬのがちっとも怖くない。
でも、生きる。
あの「愛おしさ」を知っているからこそ、
私は、生きる。
死ぬまで生きてやろうじゃないか。
東京の空は、今日も、青い。
暑くなりそうだね。
ただただ、生きていきましょう。