救いのパラドクス その2

2015年7月12日

「“私”なんかいなかった!」

 

という気づきは、そのまま、

 

「ぜんぶ“わたし”だった!」

 

という気づきになります。

 

 

 

そこには、「救い」の主体としての“私”も、対象としての“あなた”もおらず、

 

ただただ“わたし”だけが広がっている……という世界なのです。

 

 

 

なのに、どうして、いま、このメッセージを「伝えよう」とする人たちが(私も含め)たくさんたくさん出てきているのか。

 

“私”も“あなた”もいないのに、どうして「救い」が成り立つのか、

 

という疑問について、今日は書いてみようと思います。

 

 

 

これね……。ひとことであらわせば、

 

「そうなっているから」

 

と、そんな風に言うことしかできないのですよね。

 

でも、だからと言って、決して「運命決定論」とか、そういうのではないのです。

 

 

 

ただただ、すべては、「いま」「ここ」で、

 

まあ、仏教のことばで言えば「縁」によって、

 

生じては滅し、滅しては生じ……

 

それを繰り返しているだけのものであり、

 

それはただただ「あるがままに」あるだけのものであり、

 

その中には、見かけ上の「私」や「あなた」もすべて含まれていて、

 

そこでなにを言おうが、どう動こうが、

 

すべては「そうなっている」から「そう言っている」「そう動いている」。

 

ただ、それだけのものであり……。

 

 

 

いや、ごめんなさい、昨日大風呂敷広げたは良いけれど、

 

やっぱり、なかなか難しいですね。

 

ことばにしてしまえば単純なんですけれど、単純さゆえに理解しづらい表現になってしまうというか。

 

 

 

「ぜんぶ“わたし”だった!」

 

の気づきを生きている人は、

 

見かけ上、“私”と“あなた”とが分かれたような世界にいても、

 

「すべては、ただ、起きているだけ」という意識状態にあります。

 

いや、「意識」とか言うと、「それは誰の意識ですか?」というお話しになってしまって、

 

ここもまた表現が難しいところなのですが、

 

とにかく、彼らの意識には、

 

それをしている“私”はおらず、

 

さらに、

 

それをもって働きかける対象としての“あなた”もおらず、

 

ただただ巨大な“わたし”として、

 

見かけ上の「私」や「あなた」が「そのように動いている」だけなのです。

 

「そのように動く」ことをひっくるめての「わたし」がある、「わたし」だけがある、という感じ。

 

……伝わっておりますでしょうか。

 

 

 

「すべては、ただ、そのようにある」

 

その気づきを生きている人に、「深刻さ」は生まれません。

 

昨日は「救い」という表現を使ったけれど、

 

ほんとうに気づきを生きている人ならば、

 

いくら熱心に「救い」ととれるような行動をとっていたとしても、

 

そこに「悲壮感」は一切漂わないはずなんです。

 

だって、それをやっている“私”も、それを受け取る“あなた”も、

 

実はどこにも存在しないという気づきの上でやっているから。

 

ただ、すべては、「そうなっている」。

 

だから、見かけ上、「それをやっている」。

 

ただ、それだけ。

 

それだけだから、深刻にならず、でも、真剣に、すべてに向き合える。

 

そんな感じかな。

 

 

 

「“私”も“あなた”もいない」

 

それを知ったからと言って、

 

「なにもしない」

 

ということにはならないんです。

 

なぜなら“私”や“あなた”という見かけ上の区別を超えたところの“わたし”は、

 

“私”や“あなた”が「なにかをする」ことすらすべてひっくるめたところに

 

ただただ、それとして「ある」だけのものなのだから。

 

 

 

それをしよう、でもなく、それをしたい、でもなく、

 

ただただ、「そうなっている」、だからする、それだけ。

 

それは「救い」も同じです。

 

救おう、でもなく、救いたい、でもなく、

 

ただただ、そうなっている、だからする。

 

「救い」という意識すらなく、する。

 

それだけ。

 

理由なんてぜんぶ「後付け」です。

 

すべては、ただただ、「そうなっている」だけ。

 

それだけ。

 

ほんとうに、それだけなんです。

 

 

 

 

 

東京は昨日に引き続き良いお天気です。

 

人生に深刻さは要りません。

 

だって、すべては、「そのようにある」だけなのだから。

 

よき日を。