「こうなりたい」より「こうありたい」を。

2015年7月9日

半年ぐらい前までは、

 

「私は、いったい、これから先、どんな状況に身を置きたいのだろう?」

 

ということを議題として、毎月一回、かならず、

 

「自分との打ち合わせ」の時間を特別に設けていました。

 

「打ち合わせ」と言っても、

 

自宅でもカフェでも、とにかく自分が落ち着ける場所に座って、

 

紙とペンを用意して、ひたすらに、「こうなったらいいな~」という希望を書き連ねていく……

 

という、ごくごくシンプルなもので。

 

現段階で実現の可能性がどのぐらいあるのか、などということは一切考えず、

 

とにかく、「こうなったら最高だな~!」ということを、遠慮なく書き連ねていくのです。

 

どんな人と一緒にいたいのか。

 

どんなことを仕事にしていきたいのか。

 

どんなところに住んで、どんな暮らしをしたいのか。

 

などなど……。

 

とにかく、超具体的にイメージして、さらに、それが叶えられたときの自分の気持ちまでありありと想像して、

 

「なんだかいい気分」になったら打ち合わせは終了。

 

また来月、ごきげんよう~

 

……といったことを毎月、かならずやっていたんです。

 

 

 

で、この「自分との打ち合わせ」、まったくばかにできなくて。

 

この方法で、結構な割合で、私、「夢」を「現実」にしてきたんです。

 

「あれ、これ、叶ってたじゃん! あ、これも! これも!?」という感じ。

 

あまりにもバカスカ叶って、とにかく効果絶大なものだから、

 

「願うから叶う」のではなく、「叶うことがわかっているから願った」のではなかろうか!?

 

なんてことを本気で思ってしまうほど……。

 

まあ、とにかく、夢中でした。すごく楽しかったんです。

 

 

 

でも、今年に入ってからかな、どういうわけか、「気分」が、ガラッと変わってしまったんですね。

 

「気分」というか……

 

「外側」のなにかを強く求めることに、違和感を覚えはじめた……というか。

 

というのも、私、気づいてしまったんですよ。

 

私が求める数々の状況の根底に流れる、たったひとつの「希望」に。

 

 

 

私が真に求めるものは、実は、

 

「こうなりたい」

 

ではなく、

 

「こうありたい」

 

の方にあったんです。

 

「こうなりたい」は、「こうありたい」を満たすためのツールに過ぎなかったんです。

 

 

 

願いが、究極まで、シンプルになってしまいました。

 

私は、ただ、「こうありたい」をこころに置いておくだけで良かったんです。

 

 

 

あれは、半年以上が経過しましたが、

 

「こうなりたい」を並べ立てていたときより、

 

そして、その状況をひとつひとつ「叶えて」よろこんでいたときより、

 

私は、確実に、満たされています。

 

世界への信頼感が、段違いにアップしたんです。

 

信頼感というか、一体感というのかな。

 

世界と私とが一体となって、ただただ「そのように」動いている感じ。

 

いい感じに力を抜いて、「おまかせ」できるようになった。

 

これが、なんとも言えず、心地よいのです。

 

そうか、私は、ずっと、「こうありたかった」のだと、

 

これを目指して、数々の「こうなりたい」を持っていたのだと、

 

そんなことを実感しています。

 

 

 

まあ、必要に応じて「こうなりたい」という願いを持つようなことも、きっとこれから出てくるでしょうけれど、

 

でも、基本的には、「こうありたい」だけでいいのかな、と。

 

「こうありたい」さえ、ど真ん中にばしっと置くことができたら、

 

状況は自動的に用意されていくものなのかもしれません。

 

少なくとも、いまの私は、それを実感しています。

 

 

 

 

 

今日も心地よく生きていこう。

 

よい一日を!