「仏教徒」って? 「仏道」って?

2015年7月7日

今日はちょっぴり「不遜」なことを書きます。

 

 

 

プロフィールにもありますが、私は、自らを“仏教ファン”であると公言しています。

 

ここの部分「どうして?」って、割とよくつっこまれるんです。

 

「“仏教ファン”なの? “仏教徒”じゃないの? どう違うの?」って。

 

 

 

これね~、実は、私の中でも、かなりの逡巡があったんですよね。

 

あった、というより、いまでも、あります。

 

「仏教ファン」っていうのは、いわば苦肉の策であり、

 

いっそ“仏教徒”と名乗ってしまいたい気分も、少なからず、あるんです。

 

そっちの方が話が簡単そうだしね。

 

 

 

でも、“仏教徒”っていうと、どうしても、どこか特定の宗派とかお寺とかに属している「お坊さん」、

 

もしくは、「檀信徒さん」のイメージになってしまうでしょう。

 

私の場合、それには当てはまらないんですよ。

 

そもそも「特定」の教えを選ぶということができない。

 

だって私、かなりの浮気性だし(笑)

 

 

 

今日、「この世はそのままマンダラだ! 密教バンザイ!」と絶叫していたかと思えば、

 

次の日には、「禅こそが道である……」とかつぶやいて、チーンと坐り、

 

またその次の日には、「やっぱ念仏最強だわ~。もう、ぜんぶ包みこんじゃうもんね~」なんてことを思いつつ、南無阿弥陀仏を繰り返す……

 

これが、小出遥子という人間です。

 

 

 

「節操なさすぎ!」と怒られても仕方ないですよね。

 

自分でもそう思いますもん。

 

 

 

でも……どうなんでしょう。

 

確かに、外側から見れば、私の仏教への関わり方って、

 

「たいそう不真面目」だし、「道が定まっていない」ように映るのかもしれません。

 

でも。

 

でも、言わせてもらいます。

 

本人としては、ちゃんと「一本道」を歩んでいるつもりなんですよ。

 

その「一本道」を、私は、そのまま「仏道」と呼んでいます。

 

私は、こんなだけど、ちゃんと「仏道」を歩んでいます。

 

誰がなんと言おうと、そう思っています。

 

 

 

ごめんなさい。

 

ここから、いよいよ「不遜」なことを言わせてもらいますが、

 

私の場合、「教え」ありきじゃないんです。

 

「お釈迦さまはこんなことをおっしゃっている。ならばそれが正しいに違いない!」

 

そう言って、そちらに自分を合わせていく……というやり方は、私は、選びません。

 

 

 

じゃああんたは一体なにをしているんだ!? と聞かれたら……

 

たった一言、

 

「“自分”を探っているんです」

 

と答えます。

 

私は、とにかく、“自分”を知りたいんです。

 

究極的には、そこにしか興味がないと言ってもいいぐらい。

 

ごめんなさい、私、本当に、“自分”にしか興味がないんです、すみません(笑)

 

 

 

で、自分なりに“自分”を見つめて、その正体を探っていくときに、

 

仏教は、ものすごく大きな「ヒント」を与えてくれるんです。

 

「ヒント」というか……そのものズバリ、「ことば」というか。

 

“自分”を見つめて、その正体を探っていく上で、

 

「これは!」と思うような気づきに出会ったとき、

 

(その気づきは決して特別なものではなく、実は日常的に訪れています。注意深く見ていけば。だって「それ」はそもそも“自分”なのだから)

 

かたちのない、もやもやとした、それでも確実に「大切」だということが理屈を超えてわかる、その気づきに、

 

仏教は、ものすご~~~く「正確」で、「丁寧」で、「誠実」なことばをあてがっていくれるんです。

 

で、そのことばに触れて、「ああ、これね! まさにこれです!」と。

 

「“自分”は、これです!」と。

 

これが、私の、仏教との付き合い方です。

 

 

 

だから、仏教は、私にとって、

 

「知らないことを教えてくれるもの」

 

などではなく、

 

「知っているけれど(一時的に)忘れてしまっている“ほんとうの自分”の正体、それを、ことばを超えたところにあることばを使って思い出させてくれるもの」

 

なんですよね。

 

 

 

だから、なんというか、

 

教えありき、ではなく、自分ありき、というか……。

 

その“自分”っていうのは、個別の意識をもったこれ(例:小出遥子)のことではなく、

 

それを遥かに超えたところに「ある」、“ほんとうの自分”とでも呼ぶべき“自分”なのですが。

 

 

 

お釈迦さまをはじめとする、偉大な先人たちの遺した「ことば」を傍らに、

 

“ほんとうの自分”を知っていく、

 

“ほんとうの自分”に、自分自身を開いていく、

 

その決して終わりのないプロセスを「仏道」と呼ぶのなら、

 

そして、その道を歩む者を「仏教徒」と呼ぶのなら、

 

私は、確実に、「仏教徒」です。

 

それを名乗る資格が、私にはあると思います。

 

 

 

いや、ほんと、私なんか、ふにゃふにゃのへなちょこですよ……。

 

「正統」な仏道修行を超真剣に積まれている方に対しては、まったく頭が上がりません。

 

でも、気持ちとしては、

 

なにを見つめ、どう生きようとしているのか、

 

その部分に関しては、

 

私は、たぶん、彼らとまったく同じところにいる。

 

少なくとも、いようとしている。

 

このぐらいのことは言わせてください(笑)

 

 

 

いや、ほんと、ちょっぴりどころか、もはや「不遜」のオンパレードみたいな記事になってしまって恐縮ですが、

 

でも、できるだけ正直に、“自分”に誠実に、思い切って書いてみました。

 

 

 

 

 

今日も、胸を張って歩いていこう。

 

「いま」「ここ」の、この「道」を。