目の前のすべては、ぜんぶ自分が望んだこと

2015年7月3日

お遍路さんをやっているときによく思ったんです。

 

「私、これ、本当はいつだってやめられるんだよな……」って。

 

 

 

いや、ものすごく楽しいんですよ、お遍路さん。

 

でも、それと同じぐらいつらいときもあるんです。

 

なんたって、ふだんま~~~ったく運動をしない私が、重い荷物背負って、

 

ふだん歩かないような超長距離をもくもくと歩くわけです。

 

厳しい傾斜のついた山道を歩くことだってあります。

 

装備は「木の棒」(とか言ったら怒られるか! 「金剛杖」と言います……)一本……。

 

結構すぐに、足は痛くなります。荷物の重さで肩も腰も痛くなります。

 

筋肉が悲鳴を上げるのに加え、足先にはマメが毎瞬毎瞬無限増殖していきます。

 

一歩踏み出すごとに、針先でつつかれているような鋭い痛みが全身を貫きます。

 

それがず~~~っと続きます。

 

歩き続ける限り、続きます。

 

正直、かなり、つらいです。

 

 

 

そうまでして歩く理由あるの? と聞かれたら、答えに窮してしまうのですが……。

 

だって、歩き遍路なんて、本当は全然やらなくていいことなんです。

 

やらなくたって、人生にはまったく影響は出てこない。

 

いつだって、自分の意志ひとつで「やめていい」はずのものなんです。

 

でも、「やめられない……」んですよね。

 

いや、「やめたくない」んです。

 

もっと言えば「続けたい」んです。

 

「歩き続けたい」んです。

 

だから、続けているんです。

 

 

 

まあ、お遍路さんは、完全に、「趣味」の領域にくくられるようなものではあるとは思うのですが、

 

でも、思ったんです。

 

「これ、人生全般にも、そのまま言えることだよな……」って。

 

 

 

たとえば仕事。

 

「もうやだ! こんな仕事辞めたい!」

 

と思いつつ、もう何年も同じ職場にい続けている……

 

まあ、こういうことって、割とよくありますよね。

 

で、です。

 

ここでちょっと立ち止まって考えてみたいのですが、

 

こういうのって、結局、自分が「辞めたい!」と思う気持ち以上に、

 

「辞めたくない!」もっと言えば「続けたい!」から、

 

「そうなっている」、つまり、「何年も仕事を続けている」んですよね。

 

だって、本当に「辞めたい」なら、人は、なにがなんでも「辞めている」はずなんです。

 

(転職マスター・小出が通りますよ……)

 

でも、実際、いま「続けている」という現実があるなら、

 

それはやっぱり、どこかで「続けたい」という気持ちを持っているから。

 

もっと言えば、「辞めたい」よりも「続けたい」という気持ちが勝っているから、

 

目の前の現実がそうなっているわけです。

 

 

 

人間関係もそうです。

 

「離れたい!」と思いつつ、ずるずると続いている関係(恋人でも、友人でも)だって、

 

なんでまだ一緒にいるのさ、自分!? というところを見つめてみれば、

 

「離れたい!」より「一緒にいたい!」という気持ちの方が強いから、という事実があぶり出されてくるんです。

 

 

 

これ、向き合いたくないことかもしれませんが、「事実」なんです。

 

結局、自分の中にある、一番強い「望み」(あえて「望み」ということばを使います)が

 

すべて、目の前の現実となってあらわれているわけです。

 

まずはそこを認めないと。

 

 

 

じゃあどうするのよ~!? という話ですが、

 

まあ、まずは、目の前の自分の状況を、ひとつひとつ、冷静に点検していくことですよね。

 

その上で、行動を、あらためて、「自覚的」に選択し直すこと。

 

「自覚」が欠けていると、「なんで私がこんな目に……」という被害者意識が出てきます。

 

こうなると、もう最悪。苦しみは増殖していくばかりです。

 

「自覚」、ものすごく大事です。

 

これがひとつ。

 

 

 

ふたつ目は、その「自覚的」に選び取った行動の先にある、自分にとって「都合の良い点」に、ちゃんと目を向けること。

 

なにかしら「そっちの方が都合が良い」から、「それ」を選んだ、もっと言えば「望んだ」わけですよね?

 

それならば、そっちの方に目を向けていた方が、単純に自分が気分良くいられることは明らかですよね。

 

 

 

実際、私も、泣きっ面で四国を歩きながら、何度も何度も思ったんです。

 

「なんで私、こんな痛くてつらい思いを味わいながら、歩くことをやめないんだろう?」って。

 

その「なんで?」の先には、

 

「見たことのない景色を見たいから」

 

「世界を、全身で感じたいから」

 

という望みがありました。

 

そしてなによりも、まず、

 

「ただ、歩きたいから」

 

という、シンプルすぎるほどの望みがありました。

 

 

 

はっとしました。

 

「そうだった。私は、ただ、歩きたいんだ!」

 

その単純な望みを自覚した途端。

 

さっきまで自分を取り巻いていた「苦しみ」はしゅるしゅると小さくなっていき、

 

おなかの底から湧き上がってくるような歓喜に包まれたのでした。

 

 

 

いま、ここで生きていること。

 

いま、ここで歩いていること。

 

そのように、させてもらっていること。

 

そのすべてが、ありがたくてたまらなく思えたのでした。

 

 

 

「目の前のすべては、ぜんぶ自分が望んだこと」

 

それがフィクションであっても、そうでなくても、

 

一度、そんな目で、自分を取り巻く環境を見つめてみると、

 

あらためて、「生きるよろこび」と、出会い直せるかもしれません。

 

 

 

なにかのヒントになれば。

 

 

 

 

 

雨の金曜日。

 

今日も、できるだけ、機嫌良く生きていきましょう!