すべては脚本であり、同時に自由(「即」についての一考察)

2015年5月19日

わたしは、若いときに現代の農業や医療、教育といったことの矛盾点に散々悩んだ末、「人間に運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」ということに気づきました。

 

「『すべて決まっていて、なおかつ自由だ』という論理的には矛盾している二重性こそが真実だ」ということを本当に納得できれば、どんな天変地異が起ころうと、どんな凄惨な自己による災害が起ころうと、対応できると確信できました。ですから、これからのわたしの人生は、この「運命は決まっていて自由」ということを感情レベルにまで納得させることが、最大のテーマとなりました。

 

ここに至ったのは、禅の語録である『無門関』という本の二番目に出てくる「百丈野狐」という話の中にある「本当に修行を積んだ人は因果の法則を超えられるか、超えられないか」という問いかけと、近代物理学の大きな課題となった「光は粒子と波動の二重性がある」ということとがわたしの中で結びつき、融合したからです。

 

これは論理的には説明が困難なため、そのことを自分の体験・体感を通して真に納得したいと思い、わたしは武の道を選びました。(後略)

 

 

 

(murmurmagazine for men 創刊号 甲野善紀さんインタビュー「すべては脚本であり、同時に自由」より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

先日、このブログに、

 

「この世界をそのままあらわした曼荼羅の中には、ミクロとマクロとが同時に成り立っている」

 

「一即多」「多即一」

 

といったようなことを書きました。

 

それを師匠(伝統仏教のお坊さんです)にお伝えしたら、

 

「即」が出てくるのは

だいたい同じことを言っているような気がするね。

色即是空・空即是色もそうだし、

煩悩即菩提もそうだし。

 

というお返事をいただいて、「まさに……」と、深く、しみじみとうなずきました。

 

 

 

「即」っていうのは、本当に大切なポイントです。

 

たとえば、「色即是空」「空即是色」を解釈しようとするとき、

 

私なんかは、どうしても、

 

まずは「空」のなんたるかを知らなくてはならない……!

 

とか、

 

「色」ってなんぞや……?

 

とかね、

 

そういう風に、それぞれを一旦ばらばらにして、個別に“座学的に”解釈して、その後統合させよう、などと考えてしまうのですが、

 

宗教の領域……とくに仏教という分野に属するものに関しては、

 

こういうアプローチでは、決して本質に辿り着けないような気がします。

 

いや、「色即是空」「空即是色」の場合で言えば、「空」も「色」も、もちろん、ものすご~~~く大切な概念です。

 

それぞれの探究だって本当に本当に大事です。

 

でも、実は、その両者の狭間でひっそりと息づいている「即」こそが、影の実力者というか……。笑

 

「即」こそが、理屈を超えたところにある立体的な理解の鍵になるんですね。

 

 

 

「即」のニュアンスは、決してことばでバシッと言い表せるようなものではないのですが……

 

なんだろな……

 

だから、それこそ、

 

「色即是空」「空即是色」であれ、

 

「一即多」「多即一」であれ、

 

「煩悩即菩提」「生死即涅槃」であれ、

 

「即」を間に挟んで、一見して正反対の概念が並んでいますよね?

 

「即」があることによって、相反する二つの概念が、まったく同時に、しかもまったく同じ場所に成り立ってしまうんです。

 

その二つの相反する概念は、相反しているからこそ、切っても切り離せない関係に置かれるというか。

 

片方の存在なくして、もう片方の存在が成り立つこともない。

 

そこに一切のタイムラグはないんです。

 

そして、そこには常に双方向性があるんです。

 

 

 

「空」というものの本質を、理屈を超えたところで理解できた瞬間、

 

まったく同時に「色」というものの本質を理解できる。

 

「ひとつ」というものの本質を、理屈を超えたところで理解できた瞬間、

 

まったく同時に「すべて」というものの本質を理解できる。

 

「生死」というものの本質を、理屈を超えたところで理解できた瞬間、

 

まったく同時に「涅槃」というものの本質を理解できる。

 

「すべて決まっている」ということを、理屈を超えたところで理解できた瞬間、

 

まったく同時に「すべては自由だ」ということが、理屈を超えて理解できる。

 

ぜんぶ「同時」。

 

そしてそれらはいつだって表裏一体、決して個々に独立して存在できるようなものじゃないんです。

 

いつだって、「成り立たせ合っている」んです。

 

 

 

ここまで書いておいてあれですが、「即」の世界って、決してことばで納得できるようなものじゃないんですよね。

 

ことばはどうしても限定的、平面的なものだから。

 

でも、世界はどうしようもなく立体的に成り立っています。

 

それは、ほんとうは、ことばを超えたところで「感じる」ことしかできないものなんです。

 

 

 

ほんとうは、ものすごく単純なところなんですけれどね。

 

あたまだけで理解しようとせず、からだとこころ、そのまるごとで「いま」「ここ」を感じてみると、

 

この世界は、まさに「すべて」としての「ひとつ」、「ひとつ」としての「すべて」で成り立っていることに、目を見開かされるんです。

 

そこには、かつて感じたことのない安らぎが広がっています。

 

すべては、このままで、完全に、完璧です。

 

 

 

 

 

雨の火曜日。

 

世界は、今日も、うつくしい。