ストリップ宣言

2015年5月13日

【手放すことのパラドックス】

 

わたしがわたしであることを手放したとき、あるべきわたしになる。

もっているものを手放したとき、必要なものが手に入る。

 

それを女性性のパラドックス、あるいは陰陽の陰のパラドックスという。

・譲歩することによって強靭な力を得る。

・なにもない空間が満たされる。

・自分を捧げたとき、大きな自分になる。

・打ちのめされたと感じたとき、成長がはじまる。

・なにも望まないとき、大きなものがやってくる。

 

成長や愛を得ようとする必死の努力が失敗し、あきらめたと思ったときに、気が付くとその両方ともを手にしていたという経験はないだろうか?

自立と自由を望むなら、タオの法則にしたがいなさい。

いずれにせよ、ものごとはそのように運ぶのだから。

 

(『タオのリーダー学 世紀の変わり目を生き抜くための81の戦略』ジョン・ハイダー=著 上野圭一=訳 春秋社=刊 より抜粋)

 

 

 

 

 

わたしがわたしであることを手放したとき、あるべきわたしになる――

 

 

 

私の数少ない経験から、自信をもって「ほんとうです!」と言えるのは上記のことです。

 

これ、本当にほんとうなんですよね……。

 

でも、本当にほんとうなんだと知りつつも、それを体現できているか? と聞かれたら、やっぱりね、どうしても口ごもってしまいますよね。

 

小出遥子は、小出遥子であることを、手放しきれていません。

 

ひとつ手放した、と思ったら、またひとつなにかにしがみついている……

 

その事実に直面せざるを得ないここ最近です。

 

 

 

なんで手放せないんだろう、と考えたら、やっぱり「怖いから」なんですよね。

 

手放したら、小出遥子が小出遥子じゃなくなってしまう。

 

それが「怖い」んですね。

 

ずっと小出遥子として生きてきたものを手放すのは、そりゃあ怖いことですよ。

 

手放しても手放しきれない部分は残りますよ。

 

 

 

いや、小出遥子なんて、そもそもどこにもいないんです。

 

そんなものは空想の産物です。

 

「私なんかどこにもいない!」

 

その事実は、私を安心させてくれました。

 

その安心感によって、かなりの部分まで小出遥子を手放すことにも成功しました。

 

 

 

でもね~、やっぱり、長年、猛スピードで突っ走ってきた小出遥子は、やっぱりそう簡単には止まれないんです。

 

で、そいつは、たいそうビビリなんですよね。めちゃめちゃ怖がりなんです。

 

一生懸命自分を守ろうとして、「小出遥子」という名の鎧を、走りながら(!)何重にも身にまとって、それで逆に身動きできなくなっている、という……。笑

 

いや、笑えない……。

 

脱いじゃえば楽になれるのにね。

 

楽になれることは知っているのにね。

 

ほんと、しょうもないやつです。

 

 

 

強烈な「おそれ」をとかすのは、やっぱり、「愛」しかないんだよな~と思います。

 

 

 

……と、ここで思い出されるのがナウシカ姉さまです。

 

風の谷のお姫さま・ナウシカ。

 

あの人はほんとうにすごい人です。「愛」の体現者。

 

キツネリスのテトに指をガブ~と噛まれても、まったくひるむ様子もなく

 

「ほら、怖くない。怖くない。ね? 怯えていただけなんだよね?」

 

と微笑み続けている……。

 

そりゃ、テト君だって安心しますよ。

 

 

 

ナウシカが側にいてくれたら、小出遥子だって安心して大胆ストリップ劇場を開幕しますよ。

 

周りが「やめろー!」と叫んでも脱ぐのをやめないですよ。

 

「お前の裸なんか見たくねーよ!」と卵をぶつけられてもやめないですよ。

 

ナウシカさえいてくれたらね。

 

 

 

……とかアニメの世界に逃げ込んでたってね~(涙)

 

いや、でも、これ、別にアニメだけのお話じゃないと思う。

 

私たちは誰だってナウシカになれるのだと思う。

 

というか、ナウシカは誰の中にもいるのだと思う。

 

自分の外側にナウシカを求めるより、自分の内側にナウシカを見出しちゃった方が早いのかも。

 

 

 

ナウシカはいつだってここにいます。

 

「愛」はいつだってここにあるんです。

 

私たちは、そもそも「愛」でできているのだから。

 

「愛」は得るものではなくて、元々得ていたことを思い出すものなのでしょう。

 

 

 

一時的に忘れて、「私」という名の鎧を身にまとってしまってもいいんです。

 

ただ、「愛」を思い出すだけで、それを脱ぐことができるのだから。

 

そして、思い出すことは決して難しいことじゃないです。

 

いま、ここに目を向けるだけで良いのだから。

 

 

 

「愛」そのものである「わたし」を思い出して、わたしは、わたしを、手放していこう。

 

そうして、あるべき「わたし」に還っていこう。

 

脱ぐぞ~。