しあわせに掴まれる

2015年5月10日

今日は(今日も?)ストレートに伝えたいことを伝えてみようと思います。

 

 

 

「しあわせ」はいつだって存在のベースとしてある、ということ。

 

「しあわせ」こそが、私たちの存在の本質なのだということ。

 

つまり、私たちは、「しあわせ」でできている(!)ということ。

 

私たちは、ほんとうはいつだって「しあわせ」なんだということ。

 

「しあわせ」でないことなど、一秒たりともないのだということ。

 

これこそが、究極のほんとうのことです。

 

 

 

ただ、普段はそのことをすっかり忘れて生活していて、「しあわせ」を遠くに求めて右往左往を繰り返しているんですね。

 

みんな、「しあわせ」になりたくて、「しあわせ」を求めて、「しあわせ」から遠ざかってしまっているんです。

 

めちゃめちゃ皮肉なことに。

 

でも、「いま」「ここ」に目を向ければ、そしてそこにくつろぐことさえできれば、ほんとうはいつだって「しあわせ」に還っていけるんです。

 

そしてそれは思っている以上に簡単なことだったりするんです。

 

 

 

と、なると。

 

「しあわせ」は、決して、「探して」「掴む」ものじゃなくて、

 

「気づいて」「認める」ものだということになります。

 

まあ、「認める」とか言うと、ちょっと能動的な感じがしますが、

 

なんだろうな、実際は、もっとこう、「気づいた」瞬間に、

 

否応なく“それ”に「包まれる」というか、逃れようもなく「掴まれる」というか……

 

そう、まさに、「掴まれる」という感じ。

 

私たち“が”「しあわせ」“を”「掴む」んじゃなくて、

 

「しあわせ」“が”私たち“を”「掴む」んです。

 

私たちは、「しあわせ」に、「掴まれる」んです。

 

ほんとうのところでは。

 

 

 

「しあわせ」は「いま」「ここ」で、私たちに気づかれるのを待っています。

 

そして、ひとたびこちらが気づいてしまったら、「しあわせ」は一気に掴みかかってきます。

 

逃れることはできません。

 

そして、いざ、「掴まれた」瞬間、

 

「掴む“相手”」も「掴まれる“私”」もなくなって、

 

ただただ“それ”としての「しあわせ」だけが残るのです。

 

 

 

あまりに抽象的ではありますが……。

 

なにか、伝わってくれるといいな、と思います。

 

 

 

五月晴れの日曜日。

 

「しあわせ」を生きていきましょう。