ウェルカム、症状!

2015年5月6日

風邪は自然の健康法である。風邪は治すべきものではない、経過するものである。自然な経過を乱しさえしなければ、風邪をひいた後は、あたかも蛇が脱皮するように新鮮な体になる。

 

(野口晴哉著『風邪の効用』ちくま文庫)

 

 

 

 

 

GW最終日ですが、どうも夫婦そろって風邪をひいたらしく、ゲホゲホいっています。

 

とは言え、私、ぜんぜんつらくないんですよね……。

 

派手な症状は咳だけだし、そもそも症状というものを「敵」として見ていない、というのも大きいと思います。

 

からだ、もしくはこころが、その症状を必要としているからそれが起きているんです。

 

東洋医学全般や、冒頭の野口さんの考え方(本を読んだだけですが……)、冷えとり健康法の考え方、それらを総合すると、こういった結論に辿り着きます。

 

「出る」ものはみんなありがたいなあ。これによって身心が正されるんだものなあ。よし、存分に正してもらおうじゃないか。

 

なんてことを思って、ゲホゲホしながらも、割とどっしり構えています。

 

 

 

症状をありがたがれるようになったこと自体が、ありがたいことだなあ、なんてことを思います。

 

以前の私にとって、症状は、自分の平和を脅かす「敵」以外のなにものでもなかったんです。

 

「敵」に立ち向かうには、「薬」という武器が必須だし、逆に言えば「薬」という武器がなければ、「敵」をやっつけることはできないと思い込んでいた。

 

でも、いくら武器を多く所有しても、ぜんぜん自分自身が強くなる気配がなくて、

 

むしろ、武器を使えば使うほど、自分の本体は弱くなっていくような気がして……。

 

そもそも、「症状」=「敵」、「倒すべきもの」、「憎むべきもの」、という図式が間違っているのではないか? と。

 

 

 

果たしてその推測は正しかったようで、薬という名の武器を手放してから(どうしても必要なときにはお世話になっていますが)、どんどん、自分自身を頼もしいものとして見ることができるようになっていっているんです。

 

簡単に言えば、健やかになっていっているんですね。

 

自分には病を治す力があるし、そもそもその病だって、いまの自分の身心に必要だから、と、他でもない自分(の中の自然)が積極的に招いたものなのだと考えれば、

 

症状をありがたがりこそすれ、憎むことはないよなあ……と。

 

 

 

いや、症状自体、つらくないわけじゃないんです。

 

そりゃあ頭が痛いのは嫌だし、吹出物だらけの顔を見るのはブルーだし、全身がかゆいのなんてもう最低です。

 

でも、それを「敵」とみなすか、「味方」とみなすかによって、精神的な負担はまったく変わってくるんですよね。

 

ぜんぶ自分で招いたものだし、しかも必要だから起こっていることなんだ、意味のないことなんかないんだ、と受けいれることから、

 

ほんとうの意味での「治癒」というものがはじまっていくのではないか、と。

 

 

というか、実際、「はい、OK。症状、ありがとさん。存分に働いていっておくんなまし」という気分で、

 

「さあ、どこからでも、お好きにどうぞ~」と両腕を広げた瞬間に、

 

さっきまでの派手な症状が雲散霧消してしまうことだって、数多く体験しているんです。

 

 

 

不思議な話ですよね。

 

いや、ほんとうは、ぜんぜん、不思議な話なんかじゃないのかもしれない。

 

これこそが「自然」というもので、私たちが、現在、一時的に、「自然」と離れた生活を送っているだけなのかもしれない。

 

 

 

なんかね、そんなことを思うのです。

 

って、これを書いているうちに、咳、おさまったかも……。

 

 

 

連休最終日。

 

みなさま、どうか、健やかに。