会いたくなったら。

2015年5月4日

「ああ、あの人に会いたいなあ」

 

 

 

その思いが溢れてしまいそうになると、

 

私は、その場で少しばかり姿勢を正し、そうっと目を閉じて、鼻から静かに息を吐いていきます。

 

吐いて、吐いて、吐いて……吐き切ったら、自然に息が流れ込んでくるのを待ちます。

 

「吸おう」と思わず、ただ待ちます。

 

自然と流れ込んできた息が全身に回ったら、今度は再びその息を戻していきます。

 

吐いて、吐いて、吐いて……吐き切ったら、自然に息が流れ込んでくるのを待ちます。

 

「吸おう」と思わず、ただ待ちます。

 

そうした呼吸を何度が繰り返し、頭の方に集まっている気を、おへそのあたりまで下していきます。

 

 

 

そうしていると、おへその下あたりを中心に、からだがぽかぽかとあたたまってきます。

 

その状態を保ったまま、「会いたい彼」や「会いたい彼女」のことを想います。

 

頭でその人の姿を思い浮かべるのではなく、からだ全体で想うのです。

 

ほとんど「祈り」のようにして、ただただその人を想うのです。

 

力まずに、自然に、想うのです。

 

想って、想って、想って、ただただ想って、

 

ついに、「想い」だけを遺して、

 

「想っている」主体としての私が消えてしまったとき、

 

そこで、

 

「私」は、

 

会いたい人と、「ひとつ」となった自分を発見するのです。

 

 

 

「会える」んじゃないんです。

 

「会える」を超えているんです。

 

「ひとつ」なんです。

 

ただただ、「ひとつ」として、「在る」んです。

 

 

 

「私」もなく、「彼」もなく、「彼女」もなく、

 

ただただ、ひたすらに、「ひとつ」として「在る」、「ほんとうの自分」。

 

ひとつらなりの「いのち」、ぶっつづけの「いのち」、

 

ただただ、ひたすらに、「それ」として「在る」、「ほんとうの自分」。

 

 

 

「ほんとうの自分」に還っていけば、

 

私たちは、そこで、いつだって、真実、「会える」し、「出会える」んです。

 

たったひとつのいのちとして、「在る」ことができるんです。

 

 

 

距離も、時間も、生死でさえも、私たちを隔てることはできません。

 

私たちは、いつだって「ひとつ」です。

 

 

 

なにも寂しいことはありません。

 

私たちは、いつだって、いま、ここで、会えるのだから。

 

たったひとつのいのちとして、在ることができるのだから。