ここにひとりの女性がいます。
とくに予定もない日曜日、彼女は、「買い物に出かけよう」と思い立ち、
おろしたてのワンピースを着て、メイクもばっちりきめて、
るんるん気分で家を出て、電車に乗り、目的地の最寄駅の改札を抜けました。
その途端! 突然の土砂降りがやってきて、彼女は全身を濡らされてしまいました。
ワンピースはぐちゃぐちゃだし、メイクもすでにどろどろです。
さて、これは良いことでしょうか? 悪いことでしょうか?
慌てて近くにあった昔ながらの喫茶店に駆け込んだら、
お店のおじいちゃんマスターが、びしょ濡れの彼女を気遣って、ふかふかのタオルを渡してくれました。
さらに、あたたかいココアをサービスで御馳走してくれました。
冷えてしまうといけないから、と暖房も強めてくれました。
おじいちゃんがいれてくれたココアは、なんだかとてもやさしい味がして、
身もこころもあたたまった彼女は、人情に打たれて、すっかり涙ぐんでしまいました。
さて、これは良いことでしょうか? 悪いことでしょうか?
丁寧にお礼を言ってその喫茶店を出たときには、雨は止み、ワンピースも完全に乾いていました。
でも、崩れたメイクはそのままです。
「どうしようかなあ……」と思いあぐねていると、若い女の子に声をかけられました。
「私、美容師見習いなんですけれど、もしよろしかったら、メイクモデルを引き受けていただけませんか? もちろん無料でやらせていただきます!」
渡りに舟! とばかりに、彼女は喜んで引き受けることにしました。
さて、これは良いことでしょうか? 悪いことでしょうか?
数十分後、美容室から出てきた彼女の顔面には、デーモン閣下もびっくりのど派手なメイクが施されていました。
美容師見習いの女の子のメイクの腕はさんざんなものだったのです。
「最悪……」と、がっくりうなだれて歩いていると、なんと、前方から、彼女がひそかに想いをよせる会社の先輩がやってくるではないですか……!
慌てて物陰に隠れようとしましたが、少しばかり遅かった……。
「あれ、もしかして○○? 偶然だなあ!」
そう言いながら近づいてきた先輩は、いつもとはまったく違う様子をした彼女の顔面に気づき、戸惑いの表情を浮かべました。
「ど、どうしたの、その顔……」
さて、これは良いことでしょうか? 悪いことでしょうか?
「もう、ホント最悪!」と泣き出しそうになる彼女とは対照的に、
先輩のテンションはなぜか急激に上がっていきます。
「なに? もしかして○○もヘビメタ好きなわけ!? それ、コスプレでしょ? いやー、嬉しいなあ! 俺も、大のヘビメタファンなんだよ!」
「ええ!?」
戸惑う彼女には構わず、先輩は満面の笑顔で続けます。
「そうだ、○○、今日これから予定ある? ××っていうヘビメタバンドが来日していて、今日の夜にライブがあるんだ。チケット一枚余ってるんだけど、よかったら一緒に行かないか!?」
「ええ~~~!? い、行きます! そのバンド知らないけど、っていうかヘビメタとか全然興味ないけど、行きます!!!」
……これがご縁で、後日、彼女と先輩は、恋人同士になりました。
彼女も、いまじゃすっかりヘビメタオタクとなり、二人でいろんなライブに出かけて楽しんでいます。
さて、これは良いことでしょうか? 悪いことでしょうか?
って、なんだかすみません、朝からしょうもないものを読ませてしまって……。
この三文脚本を通してなにが言いたかったのかというと、
「“良い”も“悪い”もこの程度」
ってことです。
「良い」も「悪い」も、その時々の自分のごくごく勝手なジャッジメントでしかないんです。
切り取る時間を長くすれば長くするほど、その時々の「良い」「悪い」の意味は薄れていきます。
結局、いまの自分を肯定できれば、これまでのすべての出来事をも肯定できるし、
いまの自分を否定するなら、これまでのすべての出来事をも否定してしまう生き物なんです、人間って。
別にそれ自体「良い」も「悪い」もありません。
意味もありません。
ただ、「“良い”も“悪い”もこんなもんか~」と思って生きると、
楽になることは確かです。
目の前の「良い」「悪い」に翻弄されるのも楽しいけれど、翻弄されすぎないようにね。
今日も、できるだけ、らく~に生きていきましょう。