女子中学生のニコ(演:大後寿々花)は、友達になった殺し屋の三日坊主(演:中村獅童)を説得し、彼が、実は裏社会にも通じる骨董屋の女主人・マキ(演:浅丘ルリ子)を殺害するのを、間一髪で阻止する。
しかし、そのために三日坊主は殺し屋の組織から抹殺されてしまう。
友達の死を知らされたニコはマキに詰め寄る。
「もし、あたしに会わなければ、三日坊主はまだ生きていたかもしれないってことですか? もしあたしがテレクラに電話しなかったら、もしあの箱を拾わなかったら、もしあの角を曲がらなかったら……三日坊主はまだ生きていた……? だとしたら……あたしのせいだ……」
愕然として言葉を失うニコに、マキが厳しくも言い放つ。
「そうよ。あなたのせいよ。」
はっと顔を上げるニコに、マキは続ける。
「だってあなた一人で生きているんじゃないもん。この世界にあなたは関わっているの。どうしようもなく、関わっているのよ。」
(木皿泉脚本 ドラマ『セクシーボイスアンドロボ』 より)
金曜日の夜、近所に住む友人が自転車で遊びに来ました。
彼は、「とても不思議なことがあった」と言います。
そのお話を要約するとこうでした。
彼はある専門的なジャンルの製品の製造販売を行う会社に勤めているのですが、
その会社では、定期的に全国のイベント会場に出店して、製品のデモンストレーション販売を行っているのだそうです。
それで、今度、5年ぶりに北九州でのイベントに参加することになったので、
先だって、九州のお客さま宛に、一斉にDMをお送りしたところ、
ある老婦人から、丁寧なお手紙が届きました。
それはお礼の手紙でした。
こういった内容でした。
「チラシを見て驚き、そして嬉しくなりました。写真に、去年の2月に亡くなった主人の姿があったからです。」
そう、彼が作って送ったDM(5年前に、今回と同じ会場で行ったイベントの写真を使ったそうです)に、
偶然にも、その老婦人の亡くなったお連れ合いが載っており、
しかも、そこに写っていたのは、かなり熱心に友人の会社の製品の説明を聞いている、あまりにも「素」の横顔だったそうで、
それが、その方がお亡くなりになったのち、チラシという形式で、ご家族の元に届けられたのです。
奥さまは、お手紙をこう結んでおられました。
「現在、主人の写った部分を拡大して、大切に飾っております。有難うございました。」
とても不思議だし、「縁」というものの存在を実感せざるを得ないお話ですよね。
だって、そこに友人の意志はなかったんです。
彼は、ただただ適当に(失礼)チラシを作り、
「コレでいいっすかね~?」みたいな感じで写真を選び、
特別な思いも込めずに、お客さま宛てにDMを発送した。
その中の一通が、思いがけないところで、今回のお話につながった。
友人は言いました。
「でも、これって、雲の隙間から光が射し込んで、たまたまそこにスポットが当たって、こういう物語が浮かび上がってきただけで、ほんとうは、ぜんぶ、こういう風にして成り立ってるんすよね、世界は」
世界は――
しみじみと、うなずいてしまいました。
私の師匠は、
「ご縁というのは、ほんとうは一ミリもフワッとしていない」
と言います。
すべてが、そう、文字通り「すべて」が、緊密に連携し合って関わり合って、
そうして、いま、ここに、目の前の現象が現れ出ている。
会ったことがあるとかないとか、見たことがあるとかないとか、そういうことは、もう、本当に、「一切」関係なく、
ただただ、「すべて」が、「すべて」を成り立たせているのだと。
「すべて」は、「すべて」を、成り立たせ合っているのだと――
そんな風に私は解釈しているし、また、実感もしています。
「この世界にあなたは関わっているの。どうしようもなく、関わっているのよ。」
逃れられないな、と思います。
でも、その「逃れられなさ」は、決して嫌なものではない。
その感覚は、そのまま「生きる」実感となるからです。
「有難う」ということばの意味が、どんどん深まっていくのを感じます。
「生きる」というのは、圧倒的なことですね。