昨日からの続きです。
同じ本を、時期を変えて繰り返し読むことの効用ですね。
やっぱり、一番は、いま現在の自分の状態がよくわかる、ということですね。
本って、読めば読むほど発見があるんです。
何度読んでも、それこそ本文を丸暗記してしまうほどに読み込んでも、
なお、あたらしく読むたびに、
「あれ、こんなこと書いてあったっけ……!?」
「うそ、前はこれ、真逆の意味でとらえてたよ……!」
みたいなことが多数起こるんですね。
これって本という媒体の魔法だと思うんです。
映像とか音楽とかよりも、本の方が、圧倒的に、私の場合、こういった現象にあたる可能性が高い気がします。
「読む」という行為の能動性の高さによるものなんじゃないかな、とか考えています。
「こちら」の状態による部分が、ほかの媒体に比べてかなり大きいというか。
もちろん、本の中に書いてある文字列自体に変更はない(はず……)ので、
なにか変化があったのだとしたら、自分自身の方だということになる。
同じ情報に触れていても、どの部分にこころが反応するのかは、その時々によって異なってくる……。
ダイレクトに、自分自身の変化と、いま現在の状態を掴むことができるんです。
これってものすごく面白いです。
あと、もうひとつの効用としては、本の中のことばが自分の中に蓄積されればされるほど、
それがそのまま「うっすらとしたアンテナ」となって、からだ中にはりめぐらされるということですね。
本を一回だけ読んだところで、即座にすべてを意味のあるものとしてとらえることは、至難のわざです。
でも、意味としては残らなくても、文字列として残すことはできる。
読んだものは、普段は意識にあがってこなくても、どういうわけか、見えないところにちゃんと保存されているらしいのです。
その保存状態は、同じ文字列を何度実際に目にしたのかということに、単純に比例していくように思います。
その状態で日常生活を送っていると、あるとき、本当に何気ない瞬間、
たとえばスーパーのレジでおつりを受け取った瞬間とか、
あたらしいシャンプーをボトルに詰め替えているときとかに、
ふと、
「あ、あれって、こういう意味なんじゃ……!?」
みたいなことが起こってくるんです。
「つながった……!」
「わかっちゃった……!」
みたいなことが。
これがねえ、まあ、とにかく、快感なんですよね。
快感だし、さらに、それはそのまま、その時々の自分が解決すべきなにかへの最善のメッセージになることが多いんです。
私は、この「つながった!」「わかっちゃった!」の瞬間に、過去幾度も助けられてきました。
「答えはぜんぶ自分の中にある」
ということを、理屈を超えたところから理解できる瞬間って、
ものすごく素直に、
「生きるって素晴らしい……」
みたいなことを思わせてくれます(笑)
これもまた本のマジックですね。
私はたぶん、職業上、ふつうの人よりも本という媒体に触れる機会がかなり高いとは思います。
(「触れる」機会ね。「読む」機会じゃなく。念のため。私の読書量なんか、一般に言う「読書家」の人たちの足元にも及びません……)
でも、ごく最近になるまで、その存在の意義深さについて、真剣に考えたことがなかったんです。
あらためて考えてみて、これほど面白いメディアもないよなあ、と。
やっぱり私は本が好きだし、自分にとってなくてはならない存在なのだと再認識しました。
自分の職業についても、外側から客観的にとらえることができたし、良かったです。
引っ越しの副産物ですね。
素晴らしい機会でした。
……って、まだ完全に本棚の整理終わってないんですけどね!
この土日ですっきり整頓できたらいいなあ。。。