最近、立てつづけに、別々の人物に、
「あなたはまったく感情を引きずらないね」
といったようなことを言われました。
「なんだか、見ていて気持ちがいいよ」と。
ほ、褒められちゃった……!(笑)
なんとも、ありがたく、もったいないお言葉でした。なむなむ、です。合掌。
いや、でも、私、昔はこんなじゃなかったんです。
ぜんぜん、「気持ちのいい人」なんかじゃなかった。
「気持ちの悪い人」だった……とは思いたくないけれど(笑)
でも、まあ、はっきり言って「執着心」というものを、人一倍強く持っていたように思います。
それが、いつのまにやら、「流す」という技を身につけていたんですよね……。
これね、多分、「喜怒哀楽」などのありとあらゆる感情と、「しあわせ」というものを、別枠でとらえるようになったということが大きく関係していると思うのですよね。
“「しあわせ」は存在の本質として備わっている。決して外側の出来事に影響されるものではない”
このことを、こころの底から知ったときに、自ずと「感情」に対する執着も薄れていったように思うのです。
前は、たとえば「嬉しい」とか「楽しい」とかのポジティブな感情が「しあわせ」を増幅させて、
「哀しい」とか「むかつく」とかのネガティブな感情が「しあわせ」を激減させるのだと……
そう思い込んでいました。
でも、違ったんです。
「しあわせ」は「しあわせ」として、ただただ「いま」「ここ」に「在る」んです。
それは決して外側のなにかに影響されるものではなく、
それ自体、増えたり、減ったり、ましてや消えたりすることなどぜったいになく、
ただただ「在る」、「在り続ける」ものなんです。
だから、私たちは、ほんとうは、
嬉しくても「しあわせ」だし、
むかついていても「しあわせ」だし、
哀しくても「しあわせ」だし、
楽しくても「しあわせ」なんです。
ちょうど青空に浮かぶ雲のようなものです。
私たちは、絶対的な「しあわせ」をベースに生きていて、
そこに時折、「嬉しい」やら「楽しい」やらの真っ白な雲がやってきたり、
「哀しい」やら「むかつく」やらの真っ黒な雲がやってきたりする……
でも、それを浮かべる「しあわせ」という青空には、ひとかけらの影響もない。
そういう存在なんです。
(このあたりは私のつたない言葉なんかより、山下良道さんの『青空としてのわたし』(幻冬舎新書)を読むと、かなりすっきり理解できると思います。めちゃめちゃいい本!)
自分自身の感情に振り回されないためには、
自分自身の「ほんとうの姿」を知ることが必要です。
自分自身が「しあわせ」そのものだと気がついたら、
自分自身の感情をも含めた、ありとあらゆる外側のなにかに対する執着を手放し、楽に生きていくことができるようになります。
なにも、感情のないロボットになれ、と言っているわけじゃないんです。
感情は感情として、人間にはぜったいに必要なものです。
だって、そもそも、いろんな感情を味わいたくて生まれてきたのだと思うから。
ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、その場その場で思いっきり味わえばいいんです。
でも、いずれは消えゆく運命にあるそれらと「しあわせ」とを無理やり結び付けることによって、
引きずらなくてもよいものを、いつまでもいつまでもいじいじねちねちと引きずって、
執着という名の苦しみを生じさせてしまうのだとしたら、
それはものすごく残念なことだなあ……と思うのです。
私は、自分の本質が「しあわせ」だと知って、とにかく楽になったように思います。
「しあわせ」に「なる」ためになにかをすることがなくなって、
ただただ「しあわせ」で「ある」自分に気づいていれば良いだけなのだから。
自分の「しあわせ」のために、外側の「なにか」をがむしゃらに追わなくても良いって、めちゃめちゃ楽なことです。
まあ、私もまだまだ修行が足りておらず、四六時中その状態で生きていられるわけではないのですが、
でも、どんな時でも、ベースに絶対的な安心感がどっしりと横たわっているので、
以前とは比べものにならないほど、肩の力を抜いて生きることができるようになったとは思います。
いや、以前がひどすぎただけかもしれないですけれど……。
でも、ほんと、何度も言うけど、とにかく楽になったんですよね。
楽って、いいです。素晴らしいです。
まあね、いきなり、こんなアヤシイ女に、
「あなたは“しあわせ”そのものなんです!」
とか言われても、そう簡単に信じられるものでもないかもしれませんが……。
でも、まずは知識としてだけでも、こういったことを頭の片隅に置いておいてもらえれば、少しずつでも楽に生きていくことができるようになるんじゃないかな。
そんなことを思います。
東京は雨の日曜日です。
でも、雨雲の向こうには、いつだって青空が広がっています。
青空を自分の中心にどっしりと据えながら、花散らしの雨の風情を味わうのも、
また愉快なことかもしれませんね。