本物の知恵(智慧)は「真人間」をつくる

2015年3月27日

冷えとりをやっていて良かったな~と思うのは、

 

単純に、「からだの不調が解消された」ということ以上に、

 

ありとあらゆる症状に、ネガティブな感情を持たなくなった、というところにあります。

 

 

 

いや、もちろん、症状はつらいんです。

 

痛いのは嫌だし、鼻水が出っぱなしなのは苦痛だし、かゆいのなんか最低です。

 

でも、冷えとりをやっている限り、それらすべて、

 

からだの中の良からぬものが出ていっているその過程で起こっていることだと思えるので、

 

「いいよいいよ、じゃんじゃん出ちゃいなさいな~」

 

と、どこかおおらかに、どっしり構えていられるというか……。

 

実際、「毒」を出し切ってしまえば、症状は自然と止まるのですよね。

 

それならば、無理に薬で抑えてしまうより、むしろその場でぜんぶ出してしまった方が、のちのち自分が楽なんです。

 

 

 

それに、症状はすべて結果なんですよね。

 

自分の行いやこころの向きが「毒」的なものを作り出す、

 

それがたまった結果、健康を害して、症状があらわれる……。

 

つまり、なんらかの症状が、そのままイコールで、自分のあり方を反省するきっかけになってくれる、ということですね。

 

 

 

冷えとりでは、症状自体や、それが出た部位によって、なんの毒出しなのかがわかると言われています。

 

たとえば、目のかすみは食べすぎの毒出し、ふくらはぎの湿疹は婦人科系の毒出し……という風に。

 

最初はそういうのも面白がって、いちいち仔細に調べては、

 

「ふむ、心臓の毒出しか……」とか、

 

「肺に毒がたまっているのだな……」とか、

 

そういう風にして妙に感心したり、落ち込んでみたりしていたのですが、

 

最近では、もう、そういうこともあまりしなくなりました。

 

 

 

症状が出ている、ということは、なにはともあれ、からだに「毒」がたまっているということで、

 

「このままじゃなにかがまずいよ」というサインなわけで……。

 

サインを受け取ったら、とにかく一度、ここ最近の自分のあり方を振り返ってみることにしています。

 

反省すれば、なんらかの原因はかならず見えてくるものです。

 

「最近甘いもの食べ過ぎていたな……」とか、

 

「卑屈が過ぎていたような……」とか、

 

「自分のことばっかり考えていたなあ……」とか。

 

で、それらに気づいた瞬間には、(とくに自分のこころの向きに原因を見出してしまったときには)少しばかり落ち込むのですが、

 

でも、原因さえつかめれば、それはもう、8割方の解決を見ている、ということもできて。

 

あとは、できるだけ同じことをしないように、自分を整えていくだけだから。

 

なかなか難しいことではあるんですけれどね。

 

でも、同じ間違いを犯しても、また気をつければいいだけなので。

 

 

 

自分の健康は、自分が守るしかないのですよね。

 

冷えとりを続けていると、あるポイントで、かならずそのことに気づかされるんです。

 

逆に言えば、そこに気づかなければ、なかなか続けられないものなんですよね。

 

つくづく、自立をうながす健康法、もっと言えば、「真人間」を作り出す健康法だなあ、と思います。

 

「真に健康な状態」=「真人間であること」ということもできるかもしれない。

 

決して、「症状がないこと」=「健康」なんかじゃないのですよね。

 

 

 

最近、私の周りでも冷えとりに興味を持つ人が増えていて、それはとてもうれしいことではあるし、

 

私もきっかけとなるべく、よろこんでいろいろ教えているのですが、

 

でも、冷えとりって、実は結構こちら側の「覚悟」が問われる健康法なので、

 

依存的なところを直せない人には難しいじゃないかなあ……と思ったりなんかしています。

 

 

 

西洋医学にお世話になるときの態度で、冷えとりに病気を治してもらおうっていったって、

 

そうは問屋が卸さないというか。

 

 

 

「靴下さえ履いとけばいいんでしょ」

 

「半身浴さえしときゃいいんでしょ」

 

という態度は、

 

「薬さえ飲んどきゃいいんでしょ」

 

という態度と、実はなにも変わらないというか。

 

 

 

自分の健康状態の悪さを、外側のなにかに「どうにかしてもらおう」と思っている限り、

 

根本的な治癒は、永久に訪れない気がするんです。

 

やっぱりどこかで腹をくくって、

 

「自分の健康は自分で守る!」

 

ひいては、

 

「自分のことは、自分でなんとかする!」

 

という態度を身に付けないと、

 

いつまでたっても「真人間」にはなれず、

 

したがって、ほんとうの「健康」を味わうこともなくなってしまうのではないかな。

 

 

 

いや、もちろん、西洋医学に頼ったってぜんぜんいいんです。

 

緊急時には西洋医学的な処置がぜったいに必要なときもあるでしょう。

 

それらがいけないわけじゃぜんぜんない。

 

ただ、それらに頼りすぎて、

 

自分が本来持っている力をスポイルされてしまったとしたら、

 

それは非常にざんねんなことだなあ、と思うのです。

 

 

 

私たちは、本来、ひとりひとりが、信じられないほどに素晴らしい力を持っているんです。

 

せっかく持っているなら、発揮して生きていきたいですよねっていうところで。

 

 

 

「真人間」になれば、「健康」になるし、

 

「健康」になれば、自分のポテンシャルを最大限に発揮していけるようになる。

 

するとどうなるか?

 

楽しく生きていけるようになるんですね。

 

 

 

現代は、「楽しくいること」が特別な状態みたいになってしまっているけれど、

 

でも、本来、「楽しい」のが普通だし、「健康」なのが普通なのだと思うのですよね。

 

それこそが「自然」な状態、というか。

 

 

 

どんな健康法を実践してもそれは自由だけれど、

 

それが最終的に自分を「自然」へと導いてくれるものかどうかは、

 

続けていくうえでの、ひとつの大きな基準になると思います。

 

なんのための健康か? というところをつめて考えていくと、いろんなものが見えてきます。

 

やっぱり、人を依存させるようななにかは「不自然」なんです。

 

素晴らしいものは、すべて、人を「自立」の方向に向かわせてくれます。

 

最終的にはそれなしでも生きていける、

 

自分の内なる力を信じて力強く生きていける、

 

つまりは「真人間」として生きていける、

 

そんな風に自分を導き、整えてくれるような知恵(智慧)こそが、「本物」と呼べるのではないかと思います。

 

 

 

……また熱くなってしまいましたが。

 

 

 

つくづく、「健康」の大切さを思い知る最近です。

 

健康じゃなきゃなにもできないもの。

 

それに、どうせ生きるなら、楽しく生きたいものね。

 

「真人間」になっていきましょう!