「彼岸」も「此岸」も。

2015年3月21日

お彼岸ですね。

 

「彼岸」って、綺麗なことばだな、と思います。

 

単純に、響きが好きです。

 

「ヒガン」

 

消え入りそうにうつくしい「ヒ」の音と、力強い「ガン」の音とのコントラストが、なんとも言えず、良いですよね。

 

意味もなく、幾度でも口にしたくなります。ヒガン、ヒガン、ヒガン……

 

変な目で見られるからやりませんけれどね。笑

 

 

 

彼岸と、此岸。

 

彼方と此方との間には、決して超えることのできない大きな川がとうとうと流れている。

 

空は、うっすらとかすみががって、紫とも、青とも、ピンクとも、オレンジともつかないような色をして、どこまでもどこまでも広がっていきます。

 

いつか見たような、どこか懐かしいような、哀しくも、とてつもなくうつくしい光景――

 

 

 

でも。

 

ほんとうは、彼岸と此岸との間に川なんか流れていないのですよね。

 

ほんとうは、そこに境なんか存在しない。

 

 

 

彼岸はそのまま此岸だし、此岸はそのまま彼岸です。

 

あの世こそがこの世だし、この世こそがあの世なんです。

 

 

 

私たちは、肉体の終了と同時に、「有る」の世界から、「無い」の世界へと融けていきます。

 

でも、この「無い」は、「有る」に満ちた「無い」なんです。

 

「有る」を成り立たせている、圧倒的な「無い」の世界。

 

それは時空を超えたところに、偏在、遍満しています。

 

それは、ただ「在る」。「有る」を超えて「在る」んです。

 

“死者”は、「それ」に、まるごと融けていくのです。

 

そうして、私たち“生者”を、「有る」ものとして成り立たせてくれるのです。

 

 

 

いや、ほんとうは、私たち“生者”だって、いつだって「在る」に融けて存在しているんです。

 

「在る」としての「自分」が、「有る」としての自分を成り立たせている。

 

ただ、その事実を忘れているだけ。

 

「在る」そのものである自分の正体を忘れて、ただただ「有る」という幻を遊んでいるだけ。

 

ただ、それだけなんです。

 

 

 

“生者”と“死者”との間に、渡ることのできない大きな川なんかありません。

 

なにか隔たりがあるのだとしたら、そこに「気づき」があるかないか……

 

それだけなのだと思うのです。

 

 

 

人は、死の瞬間に、「人は死なない」ことを思い出します。

 

どんな亡くなり方をした人だって、もれなく思い出します。

 

いや、生きている間に、なにかのはずみで「それ」を思い出してしまう場合もあるのですが、

 

(そして思い出すきっかけは、実は日常のそこここにひそんでいたりするのですが)

 

もし、それがかなわなかったとしても、

 

死の瞬間に、私たちには、かならず、もう一度チャンスが与えられます。

 

そしてそのチャンスを取り逃す人はいません。

 

 

 

死んだ人はみんな救われているし、

 

生きている人もみんな救われているんです。

 

私たちは、みな等しく、「無」くて「在る」ものなんです。

 

ほんとうの「救い」は、ここにしかありません。

 

 

 

「有る」に満ちた「無い」を感じてください。

 

「在る」そのものを、感じてください。

 

 

 

 

お彼岸の中日である今日を、「それ」を感じてみようとする日にあててしまうのも素敵ですね。

 

「在る」の世界に融けていった大切な存在たちが、それそのものとして、私たちをそちらへと導いてくれるかもしれません。

 

 

 

善き日を。