この世の中にはありとあらゆる情報があふれています。
そこにありがたみを感じる反面、
あまりにもいろいろな情報がありすぎて、
どれが本物で、どれが偽物なのか、
選別するにも一苦労だったりします。
でも、ほんとうは、絶対的な「本物」も、絶対的な「偽物」もないんですよね。
私たちに言えるのは、ただ、「自分にとって」それが本物かそうでないかだけ。
それも、「いま現在」の「自分にとって」という限定付き。
なんともあやふやなものですよね。
でも、それ自体刻一刻とうつりかわっていく、この心身という名のスーツをまとった私たちは、そこを基準に生きていくしかないんです。
一生懸命頭を悩ませてなにかを選び取ったって、あとになって、それが間違いだったということに気づくことだってあるでしょう。
それも仕方のない話なんです。
自分自身の変化にしたがって、いつかの「本物」が「偽物」に変わってしまうことだって、十分ありうる話なんです。
それは避けられないんです。
でも、選択の瞬間になにを基準にしていたかによって、
その後の心持ちはまったく違うものになっていくんじゃないかな。
情報の海の中から、自分にとっての「本物」を見分ける方法はただひとつ。
それは、その情報の発信者から、「苦しさ」を感じないこと。
「苦しさ」がなくて、どこか「軽やかさ」を感じること。
これに尽きます。
(あ、ひとつ補足。
これ、自分がその情報に対して「苦しみ」を覚えるかどうかではないです。
その情報を発信している“人物”が「苦しそう」にしていると自分が感じるかどうかということです。
あしからず。)
いや、相手に「楽しさ」を感じるかどうかによって見分けることも(情報の種類によっては)不可能ではないんですけど、
「苦しさ」を感じるかどうかの方が、より正確だったりします。
「楽しさ」って、案外簡単に装えたりするから。笑
でも、「苦しさ」っていうのは、いくら取り繕っても、どうにもこうにもにじみ出てしまうものなのですよね。
ことばの上では、人間、いくらでも「それっぽい」ことを言えるんです。
でも、そこになんらかの嘘が混じっている場合、どうしたってそこから「苦しさ」が漂い出てきてしまう。
結果、全体の雰囲気が、べたっとした重苦しいものになってしまうんです。
いや、正確に言えば、「自分にとっては」そういう風に感じられてしまうんです。
相手から「苦しさ」を感じるかどうか。
それを基準に真偽を見定めていけば、少なくとも自分自身はいつだって爽やかでいられます。
表面的なことばに惑わされないでください。
自分が感じることを大事にしてください。
自分にとっての正解は、そこにしかないのだから。
この記事を書いている小出から、どこかしら「苦しげ」な雰囲気を感じたら、これはいまのあなたにとって「偽」の情報です。
なので、どうか無視してください。
でも、それが感じられないのだとしたら、これはいまのあなたにとって「真」の情報です。
なので、信じてください。笑
今日も自分のど真ん中からいろんなものを選び取って、
軽やかに、爽やかに生きてまいりましょう。