「本物」の見分け方

2015年3月20日

この世の中にはありとあらゆる情報があふれています。

 

そこにありがたみを感じる反面、

 

あまりにもいろいろな情報がありすぎて、

 

どれが本物で、どれが偽物なのか、

 

選別するにも一苦労だったりします。

 

 

 

でも、ほんとうは、絶対的な「本物」も、絶対的な「偽物」もないんですよね。

 

私たちに言えるのは、ただ、「自分にとって」それが本物かそうでないかだけ。

 

それも、「いま現在」の「自分にとって」という限定付き。

 

なんともあやふやなものですよね。

 

でも、それ自体刻一刻とうつりかわっていく、この心身という名のスーツをまとった私たちは、そこを基準に生きていくしかないんです。

 

一生懸命頭を悩ませてなにかを選び取ったって、あとになって、それが間違いだったということに気づくことだってあるでしょう。

 

それも仕方のない話なんです。

 

自分自身の変化にしたがって、いつかの「本物」が「偽物」に変わってしまうことだって、十分ありうる話なんです。

 

それは避けられないんです。

 

でも、選択の瞬間になにを基準にしていたかによって、

 

その後の心持ちはまったく違うものになっていくんじゃないかな。

 

 

 

情報の海の中から、自分にとっての「本物」を見分ける方法はただひとつ。

 

それは、その情報の発信者から、「苦しさ」を感じないこと。

 

「苦しさ」がなくて、どこか「軽やかさ」を感じること。

 

これに尽きます。

 

(あ、ひとつ補足。

 

これ、自分がその情報に対して「苦しみ」を覚えるかどうかではないです。

 

その情報を発信している“人物”が「苦しそう」にしていると自分が感じるかどうかということです。

 

あしからず。)

 

 

 

いや、相手に「楽しさ」を感じるかどうかによって見分けることも(情報の種類によっては)不可能ではないんですけど、

 

「苦しさ」を感じるかどうかの方が、より正確だったりします。

 

「楽しさ」って、案外簡単に装えたりするから。笑

 

でも、「苦しさ」っていうのは、いくら取り繕っても、どうにもこうにもにじみ出てしまうものなのですよね。

 

 

 

ことばの上では、人間、いくらでも「それっぽい」ことを言えるんです。

 

でも、そこになんらかの嘘が混じっている場合、どうしたってそこから「苦しさ」が漂い出てきてしまう。

 

結果、全体の雰囲気が、べたっとした重苦しいものになってしまうんです。

 

いや、正確に言えば、「自分にとっては」そういう風に感じられてしまうんです。

 

 

 

相手から「苦しさ」を感じるかどうか。

 

それを基準に真偽を見定めていけば、少なくとも自分自身はいつだって爽やかでいられます。

 

 

 

表面的なことばに惑わされないでください。

 

自分が感じることを大事にしてください。

 

自分にとっての正解は、そこにしかないのだから。

 

 

 

この記事を書いている小出から、どこかしら「苦しげ」な雰囲気を感じたら、これはいまのあなたにとって「偽」の情報です。

 

なので、どうか無視してください。

 

でも、それが感じられないのだとしたら、これはいまのあなたにとって「真」の情報です。

 

なので、信じてください。笑

 

 

 

 

 

今日も自分のど真ん中からいろんなものを選び取って、

 

軽やかに、爽やかに生きてまいりましょう。