ぜったいに「大丈夫」。

2015年3月18日

羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』という漫画の7巻に、日本三景のひとつ、松島でのシーンが出てきます。

 

松島には、「透かし橋」と呼ばれる、一定間隔ごとに横板が渡してあって、その隙間(結構広いらしい)から海が見える(結構下に見えるらしい)という構造の、なかなか恐ろしげな橋があるらしく。

 

「し、し、し、下が丸見えですよ!? この橋!? し、しかも、なんかギシミシ言ってるし!?」

 

と、へっぴり腰でその橋を渡る主人公の男の子に、彼のひと夏のアルバイト先の先輩が飄々と告げます。

 

「小さい頃にさ、横断歩道の白いトコだけ踏んで渡ったりしなかった? 不思議だよね。やってることは同じハズなのに、下がホントに見えて、『怖い』ってキモチひとつ持っただけで、もう、できてた事ができなくなるなんて……」

 

名シーンですね。

 

 

 

さて。唐突ではありますが。

 

私は、数年前のある夜、突然、

 

「ああ、もう、大丈夫、ぜったいに大丈夫」

 

と、強く確信したんです。

 

「なにがあっても大丈夫、絶対的に救われている、大丈夫」

 

因果や理屈を完全に超えたところで、ストン! と腑に落ちたんです。

 

これは、「私」だけが、つまり「小出遥子」だけが「大丈夫」というわけじゃなくて、

 

なんというか、ありとあらゆる存在、その全体が、そのすべてが、

 

もう、絶対的に「救われて」いて、

 

絶対的に、「大丈夫」なのだと。

 

そう、確信してしまったのです。

 

以来、「大丈夫」は私のベース音となり、ひとときも途切れることなく存在の根底に鳴り響いています。

 

 

 

その「大丈夫」は、絶対的な「安心感」とセットになっています。

 

「安心感」は、世界の「ほんとう」の姿を、まっすぐに見つめたところから湧き出してきました。

 

 

 

「落ちたら死んじゃう!」と、べそをかきつつ、へっぴり腰で渡っていた橋が、

 

よくよく見てみれば、

 

実は平面に描かれた模様に過ぎず、

 

自分は決して落ちもしないし、死にもしないのだと……

 

そうわかった瞬間の安心感は、ちょっと筆舌に尽くしがたいものがあり、

 

同時に、

 

みっともなく泣き喚きながら、不格好なへっぴり腰で歩いてきた自分の姿が、

 

そして、そんな自分という生き物が、

 

なんだか滑稽で可笑しくて、

 

もう、とにかく、愛おしくてたまらなくなったのでした。

 

 

 

あれ以来、私の人生は、以前とは比べものにならないほどに、うまく回るようになりました。

 

「大丈夫」がベースにあれば、すべてはうまくいくようになっているらしい。

 

いや、逆かな。

 

すべてがうまくいっていることを知っているから、「自由」を生きられるのかも。

 

「大丈夫」は、私たちに、「自由」という名の最高のギフトを与えてくれるんです。

 

 

 

ほんとうに、私たちは「大丈夫」なんです。

 

「大丈夫」じゃないときだって、「大丈夫」なんです。

 

受験に失敗しても「大丈夫」。

 

恋人にフラれても「大丈夫」。

 

リストラされても「大丈夫」。

 

病気をしても「大丈夫」。

 

究極、死んじゃったって「大丈夫」なんです。

 

これ、本気で言ってます。

 

なにがあっても「大丈夫」なんです。

 

「大丈夫」じゃないときなんてないし、

 

「大丈夫」じゃない存在なんてないんです。

 

だって私たちは、そもそも「大丈夫」で作られているのだから。

 

 

 

意味わからないかな。

 

でも、ほんとうのことです。

 

ぜったいに、ぜったいに、ほんとうのことです。

 

 

 

横断歩道の白い部分だけを踏んで歩く小学生男子のように、

 

鼻水たらしながら、陽気に、明るく、そしてとにかく「自由」に、すべてを“遊び”として楽しみつつ、いつだって上機嫌で、この世界を軽やかに渡っていけたらいいね。

 

 

 

まずは、「ほんとう」を見つめることから――