「中の人」のこと。

2015年3月17日

自分というものの本体は、私の場合で言えば「小出遥子」のことでは、決してないんです。

 

「小出遥子」のこころとからだを使って生きている「なにか」こそが、自分の本体なんです。

 

 

 

「小出遥子」は、いわば着ぐるみみたいなものです。

 

着ぐるみの「中の人」こそが、本体です。

 

 

 

で、面白いのが、その「中の人」っていうのはたったのひとり。どんな着ぐるみをまとっていたとしても、それはまったき同一人物だってことで。

 

(いや、ほんとうは「人物」ですらないのですが、便宜上ね。)

 

 

 

ふなっしーの中の人と、ひこにゃんの中の人と、ミッキーマウスの中の人が、実は同一人物だとしたら?

 

(この人物は時空を超えた存在なので、船橋でも、彦根でも、舞浜でも、アメリカでも、アフリカでも、昨日でも、今日でも、明日でも、100年前でも、100年後でも、同時に存在できます。)

 

 

 

それと同じことが人間でも起きているんです。

 

小出遥子の中の人と、角の豆腐屋のおじいちゃんの中の人と、レディ・ガガの中の人が、実は同一人物だとしたら?

 

 

 

そしてそれが真実なのだとしたら?

 

 

 

この「中の人」こそが、「神」や「仏」と呼ばれる存在なんです。

 

つまり、神さまの正体は、究極的には「自分」にほかならないということ。

 

 

 

でも、繰り返しますが、この神さまの正体である「自分」っていうのは、個別のこころとからだを持った「小出遥子」のような存在のことでは決してないんです。

 

「小出遥子」やそれ以外の人々のこころとからだを使って生きている、世界各地にまったく同時に存在している、形のない「ほんとうの自分」のことです。

 

それは、ただ、在るんです。

 

そうとしか言いようがない。

 

 

 

個別の名前を持った「おれ」や「わたし」こそを神さまだと名乗る人がいたら、一刻も早く離れた方がいいです。

 

だってそんなのは嘘っぱちだから。

 

特別な人なんかこの世には存在しないし、ある意味で、全員がまったく平等に特別なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

最近こういうようなことばっかり書いていますが(そして「いいね!」を激減させているのですが。笑)ここさえ理解できればオールオッケーなような気がするので、しつこいですが今日も書きました。

 

明日も書くかもしれません。笑

 

お付き合いよろしくなっしー。