“宗教”やめませんか?

2015年3月16日

「ほんとう」の教えっていうのは、私たちを夢から覚めさせてくれるものだと思うのです。

 

「夢を見せる」のではなくて、「夢から覚めさせる」ものこそ「ほんとう」。

 

私はそう思っています。

 

でも、ちまたには「夢を見せる」タイプの、自称“宗教”があふれ返っていて、

 

その構造が、ありとあらゆる問題を引き起こしているような気がしてならないのです。

 

というか、「夢を見せる」タイプの、“宗教”のイメージが世間にははびこってしまっていて(だってそっちの方が派手だし、甘いし、イージーだからね)

 

それといっしょくたにされることで、

 

「ほんとう」のことを教えてくれる存在すら、なんだか「いかがわしい」ものとして見られがちで……。

 

まあ、正直、もどかしいですね……。

 

 

 

私もこんなブログを毎日更新したりして、いろいろと発信をはじめたあたりから、

 

昔からの友人の数が激減したように思います。笑

 

噂されているんだと思いますよ。

 

「小出、あいつやばいって。変な宗教にハマっちゃってるって!」みたいなこと……。

 

 

 

うむ。

 

「変な宗教」ね。

 

 

 

私個人としては、どこの宗教団体にも属していません。

 

いままでもそうだったし、これからもそうでしょう。

 

まあ、仏教は好きだし、身の内に浸み込んでいるっていうのはあるとは思いますが、

 

でも、だからと言って、どこかの団体に属する必要性はまったく感じていません。

 

自分のこころの中にあるものを表現するときに、宗教的なことばを引用することだってありますが、

 

それだって、決して、「布教しよう!」と思ってやっているわけではないです。

 

 

 

それに、私がやっていることって、「夢を見せる」タイプのものかな?

 

「夢を見せ」ようとしたことなんか、一度だってあったかな?

 

いや、もちろん、私の修行がぜんぜん足りていないがゆえに、どうにもこうにも誤解を生んでしまうような表現をしてしまうときだって多々あるとは思うのですが(精進します……)

 

でも、基本的に、私のスタンスとしては、常に、

 

「ウソみたいだろ? 夢なんだぜ、これ。」(タッちゃん風に)

 

というところにあって。

 

 

 

あ、「これ」っていうのは、私たちが「現実」だと思っている、いま、目の前で展開されている、ありとあらゆる「これ」のことです。

 

これ、ぜんぶ、夢なんです。

 

夢なんです。

 

究極的には。

 

肉体の終了という意味での「死」の瞬間、きっと、誰もが、その究極的な「ほんとう」に気づくと思う。

 

でも、死ぬ前にそれに気づくことだって、また、可能なんです。

 

 

 

ほんとうは、なにひとつ起こっていない。

 

なにひとつはじまってもいないし、終わってもいない。

 

スクリーンみたいなものです。

 

「現実」という名の「夢」が映し出されているだけ。

 

言ってみれば、ぜんぶ遊び。

 

遊びは遊びに過ぎないし、夢は夢に過ぎないんです。

 

 

 

たとえば、ものすごい悪夢にうなされているとき。

 

夢の中の出来事に耐え切れなくなって、思わず大声で叫んだり、涙をこぼしたり、怒りを爆発させたりした瞬間、

 

「あ。これ、夢だ!」

 

って気づくこと、ないですか?

 

夢の中で、夢だと気づく瞬間。

 

私は結構こういうことがあるんですけど(たいてい夢の中で泣き喚いて、実際に涙をこぼした瞬間に気づく)

 

「気づいた」あと、また、夢の中に戻っていくこともできるんですよね。

 

夢を夢だと認識したまま、また夢の中に入っていく……これって結構楽しいんですよね。

 

「なんだ、ぜんぶ夢か。夢ならいいや。どうせだから思いっきり泣いてやれ!」とかね。

 

「怒ってやれ!」とか「叫んでやれ!」とか、「暴れてやれ!」とか「殴ってやれ!」とか。

 

「笑ってやれ!」とか「楽しんでやれ!」とかね。

 

ぜんぶ夢だから、思いっきりいろんなことができる。

 

余裕を持って、肩の力を抜いて、いろ~んなことをゲーム感覚で楽しめるようになる。

 

夢から覚めて、はじめて、こういうことが可能になるんです。

 

 

 

夢を楽しむためには、第一に、それが「夢」であることを知らなくてはいけない。

 

夢に夢を重ねたところで、所詮は夢、まぼろし、実体のない幽霊です。

 

そこに没入しているうちは、ほんとうにはそれを楽しむことなんかできないんです。

 

楽しんで、慈しんで、愛おしむことなんかできないんです。

 

 

 

夢を夢として、楽しんで、慈しんで、愛おしんでいるのは、誰?

 

それはもはや、それぞれに名前をつけられた「個人」としての自分ではありません。

 

文字通り、すべてとしての「自分」です。

 

その、すべてとしての「自分」こそを、

 

「神」と言ったり、「仏」と言ったりするのでしょう。

 

 

 

言ってみれば、それだけの話なんです。シンプルな話なんです。

 

超簡単なお話を、“宗教”という名の超複雑な物語=夢にしてしまうから、

 

いつまで経っても「目覚め」ることができなくなってしまうんです。

 

 

 

とにもかくにも、

 

私が言いたいのは、

 

いい加減、“宗教”やめませんか? ってことです。

 

“宗教”をやめた瞬間、「神」や「仏」の意味がわかるんです。

 

逆説的だけど、これ、ほんとうのことだと思います。

 

本気で思います。

 

 

 

 

 

 

 

月曜の朝から暑苦しく語ってしまった……。笑

 

まあ、今日も、深刻にならずに、できるだけ力を抜いて、楽しく生きてまいりましょう。

 

どうせ夢なんだから。