「恐い!」に賭ける

2015年3月13日

あるとき決心して、自分を守らない、マイナスの方にかけると決めたの。それで岡本太郎になったの。

 

(中略)

 

ずっと悩んでいたんだけど、あるときあまりに苦しくて苦しくてたまらなくなって、映画館の中に入っちゃったんですって。暗い中で座って、映画なんか全然見ていないんだけど、チラチラ光が明るくなったり暗くなったりしている中で、じっと自分の中を見ていたの。で、「ああ、そうだ。この中に燃えているものを今まで守ろうとしていた。それを消すこともできないし、渡すこともできないし、なんとかこうやって自分の力で守ろうとしていた。だから弱くなっちゃうんだ」と思ったんですって。それで、「いいんだ。そんなものは消しちまえ。これからは絶対に守らない」と決意をしたの。それで、あれかこれかという二つの道があったとき、絶対危険なほう、死んじゃうほうを選ぶって、そのとき決意したんですって。

 

その数日後にクロソフスキーとカフェで話をしていて、「僕は決意したんだ。これから絶対マイナスの方をとる。死んじゃうほうを選ぶんだ」と言ったら、「岡本もすごいことを言うね。でも、それは本当だ」とクロソフスキーは言ったそうです。それからは迷わないの。

 

(『恋愛について、話しました。』 岡本敏子×よしもとばなな イースト・プレス より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

足を攣ったときには、爪先をぐっとこちら側に反らせると(つまりふくらはぎ側の筋肉を伸ばしてやると)、一瞬にして痛みが治まります。

 

でも、激痛の中にいるときには、

 

「そ、そんな恐ろしいことできるか~!」

 

というような気分になってしまうのも無理はなく……。

 

だって、この方法って、一見して、さらに痛みを増長させそうですものね。

 

でも、その恐怖心を抑えて、思い切って爪先をこちら側に向けると、実際、痛みはすぐに止むのですよね。

 

恐がっているひまがあったら、一刻も早く現実的な手立てを打った方がいいんですよね。本当はね。

 

 

 

いや、でも実際、「自分が恐怖を感じるものの中に答えはある」っていうのはほんとうだと思いますね。

 

(って、ふくらはぎの痙攣の話からいきなり飛んだ気もしますが……。すみません、強引に続けます。笑)

 

「恐い……!」と感じるものの中にこそ、いまの自分にとって必要ななにかがひそんでいる。

 

私の経験上、これは間違いのないことだと言えます。

 

恐怖を抑えて「えいや!」と向かっていった先に光がなかったことなんか、いままでの人生、一度もないような気がするのです。

 

 

 

さて、冒頭に引用したのは、岡本太郎氏の奥さんである敏子さんの発言ですが……。

 

太郎さん、すごいですよね。

 

二つの道があったとき、絶対危険なほう、死んじゃうほうを選ぶ。

 

かっこよすぎます、太郎さん。

 

太郎さんは、こういう生き方を貫いて、そうやって「岡本太郎」に“なって”いったのでしょう。

 

恐いものの中にこそ“ほんとう”があるということを熟知していたのでしょうね。

 

そして、“ほんとう”に触れるような生き方以外に意味はないと悟っていたのでしょうね。

 

 

 

でもね、これ、太郎さんが特別な人間だったわけじゃなくて、多分、誰にだって同じことはできるはずなんです。

 

恐怖心の中に隠された“ほんとう”に触れたい、そこを生きていきたい、という、その純粋な気持ちさえあれば。

 

 

 

なにかを「恐い」と感じることは、ある意味正常なことです。生存本能が働いている証拠なのだから。

 

でも、そこにとどまっているだけだったら、いつまで経っても自分の求める世界は見えてこない。

 

恐怖を感じるというのは、その先に、必ず自分の求める“なにか”がある証拠なんです。

 

そこに賭けられるかどうかで、人生はまったく違うものになっていくのでしょう。

 

 

 

私は、賭け続けていきたいな。

 

 

 

そんなことを思います。

 

今朝攣ったばかりの左足ふくらはぎをさすりながら、思います。笑