2010年の晩秋から、2011年の初春にかけてっていうのは、個人的にも、人生で最も大変だった時期でした。
その頃、私の身には、数々の試練が、立て続けに降りかかっていたのでした。
東日本大震災は、だから、私にとって、もう、ほとんど「とどめ」のようにして起こった災害でした。
私は、震災時東京にいたし、直接的な被害はほとんど受けませんでした。
でも、ショックは大きかった。
つらかった。
あまりにも、悲しかった。
最後の最後にしがみついていたものが、一気に破壊されてしまったような感覚がありました。
さすがに、もう、立ち直れないんじゃないか、と本気で思いました。
でも。
いまになって思うのは、あの震災こそが、私にとっての決定的なターニングポイントだったということ。
あの震災があったからこそ、いまの自分がある――
そう、はっきり言えるのです。
余震でぐらぐら揺れる地面の上に這いつくばりながら、震災前の一連の出来事によって、すでにいろんなものを失っていた私は、完全に途方に暮れていました。
私には、掴まって立てるものがなにもなかった。
絶対的に頼りにできるものが、外側に見つからなかったんです。
と同時に、なにかに掴まっていなければ、自分の足で立つこともできない自分へのショックも大きかった。
これはやばい、と本気で思いました。
そして、いままでの自分のあり方を、本気で反省しはじめたのでした。
いま自分が味わっている地獄は、すべて、自分が招いたものなのだと、思い知りました。
震災や、それに続く数々の「人災」も、すべて、依存的な自分につながっているのだと、思い知りました。
自分が変わらなければ、状況は決して変わらないのだと、思い知りました。
仏教の説く「自灯明」の意味が、ようやくわかったような気がしました。
厳しい気づきでした。
でも、その厳しさは、そのまま、自らを導く灯明となりました。
あのとき灯った明かりは、いまだに私を導いてくれています。
この光は、生涯消えることなく、私の行く道を照らし続けてくれることでしょう。
どん底の闇の中にも、光はあります。
光は、自分の中にこそあります。
どんな人の中にも、かならず、あります。
外側の光はいつか消えてしまうかもしれない。
でも、自分の内側の光は、決して消えることはありません。
震災は、厳しくも、尊い気づきをもたらしてくれました。
それを無駄にするわけにはいかないんです。
ともに歩んでいきましょう。
自らの足で。
自らこそを、ともしびとして。