4年目の朝に。

2015年3月11日

2010年の晩秋から、2011年の初春にかけてっていうのは、個人的にも、人生で最も大変だった時期でした。

 

その頃、私の身には、数々の試練が、立て続けに降りかかっていたのでした。

 

東日本大震災は、だから、私にとって、もう、ほとんど「とどめ」のようにして起こった災害でした。

 

 

 

私は、震災時東京にいたし、直接的な被害はほとんど受けませんでした。

 

でも、ショックは大きかった。

 

つらかった。

 

あまりにも、悲しかった。

 

最後の最後にしがみついていたものが、一気に破壊されてしまったような感覚がありました。

 

さすがに、もう、立ち直れないんじゃないか、と本気で思いました。

 

 

 

でも。

 

いまになって思うのは、あの震災こそが、私にとっての決定的なターニングポイントだったということ。

 

あの震災があったからこそ、いまの自分がある――

 

そう、はっきり言えるのです。

 

 

 

余震でぐらぐら揺れる地面の上に這いつくばりながら、震災前の一連の出来事によって、すでにいろんなものを失っていた私は、完全に途方に暮れていました。

 

私には、掴まって立てるものがなにもなかった。

 

絶対的に頼りにできるものが、外側に見つからなかったんです。

 

と同時に、なにかに掴まっていなければ、自分の足で立つこともできない自分へのショックも大きかった。

 

 

 

これはやばい、と本気で思いました。

 

そして、いままでの自分のあり方を、本気で反省しはじめたのでした。

 

 

 

いま自分が味わっている地獄は、すべて、自分が招いたものなのだと、思い知りました。

 

震災や、それに続く数々の「人災」も、すべて、依存的な自分につながっているのだと、思い知りました。

 

自分が変わらなければ、状況は決して変わらないのだと、思い知りました。

 

 

 

仏教の説く「自灯明」の意味が、ようやくわかったような気がしました。

 

 

 

厳しい気づきでした。

 

でも、その厳しさは、そのまま、自らを導く灯明となりました。

 

 

 

 

 

あのとき灯った明かりは、いまだに私を導いてくれています。

 

この光は、生涯消えることなく、私の行く道を照らし続けてくれることでしょう。

 

 

 

 

 

どん底の闇の中にも、光はあります。

 

光は、自分の中にこそあります。

 

どんな人の中にも、かならず、あります。

 

 

 

外側の光はいつか消えてしまうかもしれない。

 

でも、自分の内側の光は、決して消えることはありません。

 

 

 

 

 

震災は、厳しくも、尊い気づきをもたらしてくれました。

 

それを無駄にするわけにはいかないんです。

 

 

 

 

 

ともに歩んでいきましょう。

 

自らの足で。

 

自らこそを、ともしびとして。