おかげさまで、Temple vol.2、無事、終了いたしました。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。
昨日の様子は、TempleのFBページにて、後日写真つきでレポートいたしますね。
昨日は、参加者として、知り合いの女性編集者・Mさんがいらっしゃっていました。
彼女こそが、昨年の秋、私に、「松本紹圭さんに連絡してみたら良いですよ」と提言してくれた方なのです。
Mさんに大きく背中を押していただき、私は一歩を踏み出すことができたのでした。
つまり、Mさんがいなければ、そもそも昨日の場は生まれなかったという、Templeの大元のような方だったのでした。
彼女も、まさか自分の発言がTempleというワークショップに結びつくとは思わなかったでしょうけれど(私自身、まだどこかでびっくりしている状態なのですから……笑)
でも、ご縁の糸はきっちり緊密に編みこまれ、すべてを「そのように」運んで行ったのでした。
昨日の場には、Kさんという大学時代からの友人もいました。
Kさんは、Mさんを私に紹介してくれた人物です。
つまり、そもそもKさんがいなければ、そして私が彼女と出会って仲良くなっていなければ、Templeという場は生まれなかったわけです。
そして、Kさんと出会うためには、そして今日まで親交を続けてきたのには、数えきれないほどの条件が必要でした。
私があの大学、あの学部を選択し、一年間の浪人生活ののちに入学したこと、第二外国語として中国語を選択したこと、あの日、あの教室で、あの後ろ側の席を選んで座ったこと、彼女が私に話しかけてくれたこと……
それは彼女の側だって同じです。さまざまな条件が重ならなければ、私に出会うことはなかった。
そして、KさんがMさんと出会うまでにも、いろいろな条件が必要だった。
考えれば考えるほど、すべてが「不思議」なご縁です。
これがこうなって、あれがああつながって……ということをさかのぼり始めると、結局、すべて、宇宙誕生の瞬間にまで結びついてしまうのではないでしょうか。
って話がでかいな!笑
結局、すべて「そうなっていた」としか、言いようのないお話なのでしょうね。
「そうなっていた」から、Templeが生まれ、そこに集った方々のさまざまな表情が生まれ、そこからまたたくさんのなにかが育っていき……
人間のコントロールの範囲を軽く超えています。
私が、この人が、あの人が、なにかをしたから、これがこうなってああいう風になってああいう結果につながった……なんてこと、ほんとうはひとつとして言えるものではないのでしょうね。
それならば、もう、降参しちゃっていいのかも。
コントロールを手放して、楽に生きてしまっていいのかも。
力を抜いて、運ばれていってしまっていいのかも。
だってどうせぜんぶが「そうなって」いくのだから。
……なんて、昨日のあの空間の中で、ひとり、そんなことを考えていました。笑
起こることは起こる。それ以外は決して起きない。
これは究極の真実です。
そうは言っても毎瞬なにかを意図してジタバタしてしまうのが人間という生き物の性ですが、
まあ、適度にジタバタしつつ(笑)、
ジタバタに飽きたら「まあいっか」と力を抜いて、
運ばれるべきところに運ばれていくしかないのでしょう。
なにか大いなるものから見れば、きっとすべては完璧なんです。
そこをおなかの底から信じて、すべての力をゆるめた瞬間に、「ああ、こういうことだったのか……」と見えてくるようなものがあるのだと思います。
なんとなく、そんなことを思いました。
この感慨だって、きっと、「そうなって」いたこと。
果てしないなあ……。