おはようございます。小出遥子です。
先日の名古屋のTempleにて、
「僕は雲の数、それ自体を減らしたいんですよ」と、
切実に訴えている方がいらっしゃいました。
雲、というのは、青空に浮かぶ、あの雲のことです。
青空にはさまざまな色、かたちをした雲が浮かんでいます。
でも、その雲は決して固定されたものではなく、
刻一刻と姿を変え、最後には跡形もなく消えてしまいます。
普段私たちを悩ませる、制御できない思考や感情や感覚も、
実は、この雲と同じようなもの。
あらわれたと思ったら、あっという間にその姿を変えて、
気づいたときには消えてしまっている……。
そんな、あまりにも頼りないものと自分とを同一化して、
ああでもない、こうでもないと右往左往しているのが人間の姿です。
自分の本質は、雲ではなく青空にあることを見抜いてしまえば、
そこにどんなに激しい思いや感情がやってきたとしても、
「よきにはからえ」……とまではいかないまでも、
まあ、ある程度は、落ち着いて対処、対応できますよね。
……といった話を受けての、冒頭のことばだったわけですが、
まあ、そうですよね。
いくら自分の正体は雲ではなく青空であると聞かされて、
「たしかにそうかもな……」と思ったところで、
いままでと変わらずに雲は湧いてくるわけですし、
それに翻弄される自分も相変わらずいるわけです。
だから、雲自体が湧いてこないようにするメソッド、
あるいは湧いてきた雲を瞬殺で消し去ってしまうようなメソッド、
そういったものを求めてしまう気持ちは非常によくわかります。
でも……どうなのかな。
世界は広いですからね、もしかしたら、この世のどこかに
そういったメソッドが隠されているのかもしれないですけれど、
私自身は、そういったものを探し求めて
うろうろする時間がもったいないと思ってしまうので。
というか、そもそも、雲が湧いてくるようにつくられているものを、
無理やり、湧いてこないものにつくり替えてしまったら、
やっぱり、どこかでひずみが生じてくるのではないかな、と思うので。
それならば、思い切って、雲の存在を認めてしまった方がいいかな、と。
たぶん、雲自体にアプローチして、
その数を減らしたり、その存在を消し去ったりすることはできないけれど、
雲の「出どころ」を探ることによって、その実体性のなさに気づいて、
「なんだ、なにも気にすることはなかったじゃん!」と脱力して、
「雲があっても別に構わない、だって私は青空だから」とゆったりと構えて、はじめて、
「あれ? そういえば最近、激しい思いや感情にわずらわされることがなくなったな……」
と気づくようなことが起きてくるのだと思います。
苦しくなく生きていければそれでいい。
そのためには、わざわざ雲自体を消す必要はなくて、
雲は雲として存在していても別に構わない、というところに、
ふわっと自分を解き放ってしまえばいい。
そっちの方が、実は、「近道」なのだと思います。
今日も暑くなりそうですね。
よい一日をお過ごしください◎
≪今後のTempleのスケジュール≫
【5/30(火)】Temple@神谷町光明寺(ゲスト:プラユキ・ナラテボーさん) ※満員御礼
【6/5(月)】Temple@髙願寺
(ゲスト:小笠原和葉さん)
【6/16(金)】Temple@瑞泉寺
(ゲスト:小竹めぐみさん/京都での初Templeです! ふるってご参加くださいませ)
【7/23(日)】Temple School 特別イベント第2弾(ゲスト:横田南嶺さん、藤田一照さん) ※満員御礼