病はメタファー

2015年2月12日

昨日、とある場所で、ほぼ7時間ぶっ続けで、「あたらしい医療のかたち」にまつわるお話を聞いてきました。

 

あらゆる差、違いを「超え」たところにあるものに目を向け、そこをベースに「いのち」をとらえるという動きが、現在、世界のそこここで起こりつつあることを実感できるような時間でした。

 

それぞれの登壇者のお話の内容、というより、ああいった場があって、そこに大勢の人が集まる、ということ自体に(しかも会場は西洋医学の権威的な機関の建物内の会議室でした)私はすっかり感動してしまったのでした。

 

 

 

登壇されたある方が、

 

「“病む”ということは、“気づき”の大きなチャンス」

 

といったようなお話をされていましたが、

 

聞きながら、ここ数年来、うすらぼんやりと思っていたことが、一気に腑に落ちるような体験をしました。

 

「あのときのあれって、こういうことだったんじゃないの!?」って。

 

 

 

数年前、私は全身に広がる謎の発疹に悩まされていました。

 

直径3ミリぐらいの輪郭のぼやっとした赤い発疹が、15センチぐらいの範囲で、ある日突然、左右の太ももに、ほとんど対称なかたちで現れたんです。

 

これがもう、かゆくてかゆくて!!!

 

最初はダニにやられたのかと思って(梅雨時だったし……)皮膚科にかかりました。

 

病院につく頃には発疹の範囲は、ふくらはぎのあたりまで広がっていました。

 

ものすごい勢いでどんどんどんどん広がるのです。しかもからだの左右にほとんど対称なかたちで!

 

怖かったです……。

 

お医者さんも、「左右対称に出ていますから、これは内臓に原因がありそうですね。虫刺されではないです」と言うだけで、原因は特定せず……。

 

「肝臓が弱っているのでしょう。アルコールは控えてくださいね」

 

と言われて、とりあえず発疹とかゆみを抑える薬と、あと、かなり強烈な塗り薬を処方されました。

 

 

 

ここから先が長かったんです。

 

発疹の範囲は日に日に拡大していき、手足(指の先にも出ました)を中心に、おなかやおしり、胸のあたりにもどんどんどんどん広がっていきました。左右対称に……。

 

見た目もグロいし、かゆくてかゆくて夜もほとんど眠れないし、原因不明っていうのがまた恐ろしいし、ほんと、気が狂いそうでした。

 

もう、とにかく症状を抑えよう、と思って、一日三回薬を飲み、強い薬を塗りたくり……でも、まったく効果は見られなくて、むしろ日に日にひどくなる一方で。

 

とくに足に出た症状がひどかった。

 

太ももの付け根から小指の先までびっしりと発疹に覆われていて、しかもかきむしるから常にどこかから出血してパンパンに腫れあがっていて、人様には決してお見せできないような有様になっていきました。

 

 

 

 

結局、派手な症状が治まるまでに半年はかかったかな……。

 

発疹は消えたけれど、かゆみはその後一年ほど続きました。

 

ガサガサでボロボロになった全身の肌が元に戻るまでには、さらに二年ほど必要でした。

 

 

 

これね……いま思うと、完全に、私のこころの向きに原因があったんですよね。

 

あの頃の私は、完全に依存体質でした。自分の足で立てていなかった。

 

とにかく、自分というものに自信がなくて、「好かれる自分」というものを頭で考えて、懸命に演出していました。

 

人に嫌われることが一番の恐怖だった。

 

だから、見たくもないテレビを見て、読みたくもないものを読み、聞きたくも話したくもないような話題に必死でついていき、笑いたくもないところで笑って、食べたくもないものを食べ、飲みたくもないものを飲み、好きでもない人を好きだと思い込み(!)好きでもない人にべったり寄りかかるように一緒にいて、自分というものの価値の一切を、外側の評価に預けてしまって……そうやって暮らしていました。

 

それ以外の生き方を知らなかったのです。

 

アルコールは控えてください、と言われていたにもかかわらず、普通に飲んでいました。

 

お酒は、あの頃の私の一番のコミュニケーションツールだったのです。

 

逆に言えば、お酒を間に挟まなければ、誰かと向き合うこともできないという状態だったのですね。

 

生きている実感なんて、どこにもなかったように思います。

 

 

 

症状が、とくに両足にひどく出ていた、っていうのは、いま思えばこれほど分かりやすいメタファーもないよね、というお話で……。

 

「あんたには両足があるんだよ! ちゃんと自分の足で立って歩きなさい!!!」

 

たぶんね、症状は、発疹やかゆみなどを使って、こういうことを必死で教えてくれようとしていたんですよね。

 

もしくは足本体からのアピールだったのかもしれませんね。

 

「私たちがいるってこと、忘れないで! お願い、私たちをちゃんと使って!!!」

 

って。

 

 

 

そのときに気づけばよかったんです。

 

気づいて、おそるおそるでも、自分の足で地面を踏みしめたら……その瞬間に、治癒に向かっていたと思うのです。

 

 

 

でも、私は向き合えなかったんですね……。

 

とにかく症状を悪しきものとして、抑える、消す方向にばかり意識を向けていた。

 

それだって完全に薬頼みで、自己治癒力の自の字も思い浮かべないような状況でした。

 

 

 

半年後に派手な症状は治まったけれど、結局、病の原因となる部分は私の中に一ミリも動くことなく居座っていました。

 

結果、数か月後に、それは、今度はいくつもの「“ヤバい”出来事」に姿を変えて、私の身に降りかかってきました。

 

今度こそ、どん底に突き落とされました。

 

文字通りの「どん底」です。いろいろなものを一気に失いました。

 

そこまで落ちて、ようやく、私は、いままでの自分のあり方を本気で反省し始めたのでした。

 

いい加減、自分の足で立たなくては、と本気で思うようになりました。

 

自分の足で、立って歩かなくては、と。

 

自分には、足があるのだから、と。

 

その延長線上に、いまの私がいます。

 

 

 

こころとからだは「ひとつ」で、決して切り離すことができなくて……。

 

物事にはすべて「原因」と「結果」があって、私たちはどうしたって「結果」ばかりを見て「どうしようどうしよう」と騒ぎがちですけれど、本当は、「原因」の方にこそ目を向けるべきなにかはあるんですよね。

 

「病」っていうのは、その一番わかりやすいメタファーなのかもしれません。

 

「自分がどうしてその病を得たのか」

 

そこに目を向け、こころの底から「物語」を理解したとき、本物の治癒がはじまるのでしょう。

 

 

 

こういうお話が単なる「トンデモ」として処理される時代は終わりを迎えつつあるのだと思います。

 

すべては「ひとつ」。

 

そこをベースに物事を見ると、「難解」とされていた部分が、案外簡単にスルスルとほどけてしまったりするのかもしれません。

 

そして、それは決して特別なことじゃない。

 

 

 

あたらしい時代の息吹を、そこここで感じています。

 

わくわくします。