おはようございます。小出遥子です。
今日は名古屋市中川区の瑞因寺さんにてTempleを開催させていただきます!
名古屋でのTempleは初! このご縁にこころより感謝です。
ご参加のみなさんとお会いできること、とてもたのしみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします◎
ということで(?)今日はあらためてTempleという場について書きたいと思います。
Templeとは、ひとことで言えば、「いのちからはじまる対話の場」です。
この、「いのちからはじまる……」というのが、地味に重要なんです。
Templeは、あくまで「いのちからはじまる対話の場」であって、
「いのちについて語り合う場」ではないんです。
かなり微妙なニュアンスの違いではありますが、
ここは、ことあるごとに繰り返したいポイントだと思っています。
いのちって、それ自体、決してつかむことができないものなんです。
だから、「いのちについて語る」ことなんか、本来、ぜったいにできないはずなんです。
なぜなら、いのちは、決して「対象」になりようのないものだから。
いのちは、すべてが「主体」と「対象」に分かれる以前に、ただ、あるもの。
にも関わらず、いのちについて語ると、それを語っている「私」が、
いのちからどうしてもはみ出してしまうんですよね。
いや、本来、いのちからはみ出すものなんか世界にはひとつもないんですけれど、
でも、いのちを対象として語っていると、
それを語っている「私」の存在が、そこからどうしても隠れてしまう……。
だから、いのちというものをど真ん中においてなにかを語ろうとしたとき、
人間にできる最大のことは、「いのちからはじまる対話」をたのしむこと、
ほんとうに、ただ、それだけなんじゃないかなあ……と。
いのちについて語ることは決してできないけれど、
いのちからはじまる話をたのしんでいる、そのプロセス全体は、
すべて、いのちのあらわれとして起こっている。
そのことに、ただ、気づいていく……。
Templeという場の可能性は、そこに尽きるのだと思います。
そこでなにが語られていてもいいんです。
正解も不正解もありません。
あえて言えば、その場で出てきたもの、そして出てこなかったもの、
あなたが感じたもの、感じなかったもの、
そのすべてが「大正解!」という場です。
今日も、まだ少しお席に余裕があるようです。
飛び入り参加も大歓迎! お気軽にお越しください。
受付開始は14時半です。
それでは、瑞因寺にて、お待ちしていますね。
詳しくはコチラをご覧ください。
http://temple-web.net/event/67/
よい一日をお過ごしください◎
≪今後のTempleのスケジュール≫
【5/30(火)】Temple@神谷町光明寺(ゲスト:プラユキ・ナラテボーさん) ※満員御礼
【6/5(月)】Temple@髙願寺
(ゲスト:小笠原和葉さん)
【6/16(金)】Temple@瑞泉寺
(ゲスト:小竹めぐみさん/京都での初Templeです! ふるってご参加くださいませ)
【7/23(日)】Temple School 特別イベント第2弾(ゲスト:横田南嶺さん、藤田一照さん) ※満員御礼