「悩みシャチハタ」握ってませんか?

2015年2月11日

ここ数年、ほんとうに「悩む」ということをしなくなったなあ、と思います。

 

と言うのも、私、ある日突然気づいちゃったんですね。

 

「悩みって、自分が“悩み”だと認定しなければ、悩みにならないんじゃないの!?」

 

って。

 

コペルニクス的転回というやつでした。

 

いや、これはかなりショックでした。

 

白目むいて後ろ向きにひっくり返ってそのまま起き上がれなくなってしまうぐらい、ショックでした。

 

 

 

私はそれまで、「悩み」というものは、自分の外側に、独立して立っているものだと思っていたんですね。

 

だから、たとえば、ドラクエとかFFとか、ああいった類のゲームみたいに、自分が「人生」という名の地図の上をうろうろしているうちに、いきなり、「悩み」という名の敵に行き合っちゃって、

 

あっという間に画面が切り替わっちゃって、音楽も変わっちゃって、「はい、戦闘モード開始!」みたいな感じになっちゃうのだと、

 

そしてそれは避けられないことなのだと、

 

そんな風に思っていたんです。

 

思い込んでいたんです。

 

 

 

でも違った。

 

大間違いだった。

 

この世に「敵」なんてものはそもそも存在しておらず、

 

自分が勝手に「敵発見フィルターつきサングラス」を装着して、

 

その「敵」とおぼしき存在に「悩み」の二文字をごくごく勝手に押し付けて、

 

ぎゃーすかぎゃーすか騒いでいただけだったのですね……。

 

一人相撲ってやつですね……。

 

 

 

「悩まないコツは悩まないこと」

 

って、

 

なんというか、かなり人を喰ったような発言だなあ、と思うのですが、

 

実際、事実なんですよね。

 

まあ、「悩まない」というより、「考えない」の方がニュアンスは近いかな。

 

 

 

「考えなくていいことを考えてしまう状態」って、

 

そのままイコールで、

 

「“悩み”の文字が刻印されたシャチハタを持って、自分の周囲のものに、のべつまくなしにポンポンポンポン捺しまくっている状態」

 

だと思うんです。

 

 

 

いいから、とりあえず、そのシャチハタを捨てなさい、と。

 

捨てちゃえば、身軽になれるよ、と。

 

 

 

……とは言ってもね、なかなか、「考える」ということをやめるというのは難しいことです。

 

だっていままでずーーーっとそうやって生きてきちゃったんだもんね。

 

 

 

「考える」ことを手放せないのは、たぶん、

 

「考えなかったら、問題は解決しない!」

 

と思い込んでしまっているからで。

 

 

 

でも、待てよ、と。

 

そもそも「考える」という行為が「悩み」を生んでいるのだから、

 

元を断たなきゃしょうがないですよね。

 

 

 

それに、これはもう、自信を持って言えるのですが、

 

「考えなくても、問題は解決します!」

 

 

 

というか、

 

「考えないからこそ、問題は解決します!」

 

 

 

これ、嘘じゃないです。

 

 

 

たとえば、なにか気がかりなことがあったときには、私はとりあえず、時間を設けて、その「なにか」のことを「考え」ます。

 

とりあえず、「考える」んです。

 

意図的に、ド真剣に、「考え」ます。

 

ただし、時間は厳密に区切ります。

 

30分なら30分、1時間なら1時間。

 

その時間が来たらとにかくそこでいったん「考える」を終了します。

 

もう、この時点で、「解決法受信アンテナ」はばっちり樹立されています。

 

だからもう考えなくていいんです。

 

安心していていいんです。

 

 

 

そのあとは、もう、「考える」をやめて、日常に戻っていきます。

 

「自分、もう十分に考えたっしょ! コミットメント終了! おつかれっした!」

 

という感じで、もう、とにかく自分を解放するんです。

 

そうして、そこから先は好きなことをして過ごします。

 

「問題」のことは一切考えません。

 

考えそうになっても、考えないようにします。(考えの焦点を意図的に「合わせない」というか、とにかくあたまを「ぼんやりさせる」んです。これはちょっと練習すればすぐにできるようになります。)

 

 

 

すると、あるとき突然、びっくりするようなかたちで「こたえ」はやってきます。

 

ぜんぜんその「問題」とは関係のない本の一節だったり、

 

電車内でたまたま聴こえてきた見知らぬカップルの会話だったり、

 

巨大な企業広告のキャッチコピーだったり、

 

とにかく、それは「思いもよらない」形式のメッセージとして、自分のもとに届きます。

 

 

 

いや、それらのメッセージは、いつだって自分の周りにあふれているんです。

 

でも、「考え」で自分をいっぱいにしていると、それらは決して入ってこないんですね。

 

 

 

一本アンテナを立てたら、あとはもう、好きにしていていい。

 

「考える」ことで、アンテナの感度を鈍らせるようなことはしなくていい。

 

人事を尽くして天命を待つって、このことなんじゃないかなあ。

 

 

 

なんらかのメッセージが届いたら、あとはそれにしたがって行動するだけです。

 

「行動」できたら、「悩み」の9割は解消しているようなものです。

 

「悩み」っていうのは、「行動できないストレス」に起因しているものがほとんどなので。

 

 

 

 

 

「問題解決」なんて、自分が思っている以上にシンプルなものなのかもしれません。

 

 

 

そもそもそれはほんとうに「問題」なのか?

 

自分の手には「悩みシャチハタ」が握られていないか?

 

そこを点検することがまずは大事な気がします。

 

 

 

そして、いざ「問題だ」となったときには、「考え」ることによってそれを解決しようとしないこと。

 

一度意図的に「考える」ということをやってアンテナを立てたら、あとはもうすべてを手放して、自分の中に空白を作ること。

 

メッセージがやってきたときに、それを逃さない自分でいられるように、常日頃から自分自身をととのえておくこと。

 

 

 

それだけで良いような気がします。

 

難しく考えなくても大丈夫。

 

きっとすべては完璧なんです。

 

放っておいても「完璧」は向こうからやってくる。

 

最終的にはそこを信じられるかどうかにかかっているのでしょう。

 

 

 

そう言えばトンチ小僧、一休さんも言ってましたね。

 

「気にしない、気にしない。ひとやすみ、ひとやすみ。」

 

って。

 

生きる知恵だと思います。笑

 

 

 

 

 

すばらしい一日を。