使者としての「夢」

2015年2月7日

ここ二日、連続で「人生は夢まぼろし」といったようなことを書いてきましたが、それを読んでくれた彼氏とのメールのやり取りの中で、なかなか面白いお話になったのでシェアします。

 

 

 

人生はそれ自体が夢。

 

とすると、寝ているときに見る夢っていうのは、その内容がどうとかいう以前に、そういうシステムが存在すること自体が、大きなヒントというか、メタファーなんだね。

 

というお話。

 

 

 

夜寝るときにがっつり見る夢とか、うたたね中に一瞬見るイメージとか、夢とひとくちに言っても、その長さや質はいろいろありますが、でも、それらって、どのみち「まぼろし」なわけです。

 

どんなに生々しく、リアルな夢だったとしても、起きた瞬間にどこかにぱっと消えていってしまう。

 

 

 

夢は、そのあり方そのものをもって、私たちになにか大きなことを伝えよう、というか思い出させようとしてくれているように思うんですね。

 

「ほらほら、俺、夢! 俺っちの姿見ていて、なにか思い出すことない? どう? わからない? とっても大事なことなんだけどな~。思い出して欲しいな~」

 

とかね。笑

 

 

 

人生は夢だとかまぼろしだとか言っても、その夢まぼろしの中にすっかりハマりこんでしまっている人は、そんなことは思いもしないわけで。

 

だからこそ、「寝ているときに見る夢」というものが、その姿をもって人を教え導く使者として、私たちの人生に派遣された、というか……。

 

なんか、そんな気がしてならないのです。

 

 

 

昨日も彼氏と話していたのですが、たとえば、なにかひとつ夢を見ると、それに付随して、以前見たけれどすっかり忘れてしまっていた夢を思い出すことってありますよね。ずるずるずるーっという感じで引っ張り出されるというか。

 

夢って、もしかしたら、「今日の夢」「昨日の夢」「一週間前の夢」「一年前の夢」っていう風にラべリングできるようなものじゃなくて、それ自体、ひとつらなりになっているものなんじゃないのかな。

 

ひとつらなりの「夢」として、必死で、私たちの目を覚まさせようとしているんじゃないのかな。

 

 

 

「この世」にあるものは、すべて、「あの世」のことを思い出させるために存在しているのかもしれないですね。

 

まあ、こんなことを言っているこの時間すらも夢まぼろしと言ってしまえばその通りで、なんというか、ちょっと、笑うしかない感じなんですけれど。(あはは。)

 

でも、そう考えると、たのしいですよね。単純に。

 

 

 

夢シリーズはとりあえずここで完結、ということにします。(飽きられている感じもするので。笑)

 

が、またなにか思い出したら書きますね。