
5時半起床。
京都は雨。
瞑想会後に、こんな詩がやってきたのでシェア。
いまここにある強い痛みを、
なかったことにしなくていいよ。深く深く傷ついている自分を、
なかったことにしなくていいよ。痛みの原因を、探らなくてもいいよ。
わたしたちには、なにもわからないのだから。
わからなくても大丈夫。
痛いままでも大丈夫。
傷ついたままでも大丈夫。「わからない」自分と、
「痛いまま」の自分と、
「傷ついたまま」の自分と、ただ、「ひとつ」としてともにあろう。
そこから「解放」がはじまっていく。
がんばろうね。
いっしょに。
昨日の日記を書いて、身支度を整え、雨の中、
一駅分市営地下鉄で移動して、六角堂にお参り。
こじんまりとして、風情があって大好きなお寺。
ここは親鸞聖人が聖徳太子から夢告を受け取ったとされる場所。
若き日の親鸞聖人の姿を思うと泣けてくる。
真剣に、「わたし」の救いのなんたるかを追い求め続けた、
その先に聴こえた「南無阿弥陀仏」。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
隣のスタバに移動して、お堂に降る雨を眺めながらぼんやりする。
ここで、あるひとつの「大願」を受け取る。
「私」に重なる、「わたし」の、願い。
この身をもって、叶えていきます。
再び宿に戻り、11時前にチェックアウト。
市営地下鉄で京都駅まで行き、荷物をロッカーに預けて、
伊勢丹の地下で友人と合流。
とんでもない量のお惣菜やらお寿司やらスイーツやらを買い込んで(笑)
タクシーで友人宅へ。
痛みがあること=不幸、じゃない。
人生って、そんなに平面的にはできていない。
痛みがあって、はじめて見えてくる景色がある。
人という生き物の、世界という場所の成り立ちの、
ほんとうのやさしさを知る。
8時間一緒にいたのに、まったく話が尽きなかった。
励ますつもりが、私も励まされた。
あなたと出合えてよかったよ。
がんばろうね。
がんばって、生き抜いていこう。
雨に濡れながら京都駅に向かい、19時1分京都発の新幹線に乗って帰ってくる。
最寄駅についたのは21時半少し前。
ものすごい雨と風。
バス停から家までの間にまたびしょ濡れになってしまった。
家に帰ったら、流生さんが布団シーツを洗って整えておいてくれていた。
流生さんの笑顔を見て心底ほっとする。
めちゃくちゃ疲れていたけれど、最後の力を振り絞って荷解きをして、
お化粧を落として、歯を磨いて、23時頃布団に倒れ込む。
六角堂で受け取った「大願」について、流生さんにお話ししているうちに眠ってしまう。
世界のために、私ができること。
できるところまでやり切って、胸を張って、帰っていこう。