あたまポカーンの感動の儀

2016年9月27日

おはようございます。小出遥子です。

昨日は21時には布団に入って、今朝4時半までぐっすりでした。
その間、一回も起きなかった。
これは眠りの浅い私にはめずらしいことです。

夢も見ずに眠れるって、すごく素敵なことですね。
あたまやからだの疲れの取れ具合がぜんぜん違う。
ちょっと感動しています……。
深い眠りって、すごい……!

というわけで、睡眠の質の良さに感動するのは、
私の場合、割とめずらしいことなのですが、
朝起きた瞬間から、なにはなくとも、しみじみ感動しっぱなし……
ということに関しては、はっきり言って、私は、プロです。

だってすごくないですか?
朝、目が覚めた瞬間から、「世界」は勝手に展開しているんですよ?

「私が見る」までもなく、すでに朝の光景が見えているし、
「私が聞く」までもなく、すでに朝のさまざまな音が聞こえているし、
「私が嗅ぐ」までもなく、すでに朝のにおいは漂っている。

いま、です。
いま、まさに、この場所で、そういう風になっていないですか?

「見よう」としていないのに見えているし、
「聞こう」としていないのに聞こえているし、
「嗅ごう」としていないのに嗅げている。

そういう風になっていないですか?

「私」がなにかをする前に、すでに「世界」はそのようにととのっているんです。

こんなにすごいことって、ないですよ。
これ以上のことなんか、ほんとうは、どこにも、ない。

……という感じで、直前の眠りが深かろうが浅かろうが、
私は割と毎朝こういった「世界」のあり方に感動しているのですが、
まあ……あんまり伝わらないかな……(笑)。

こういうのって「当たり前」だと思われているんですよね。
ほんとうは、ぜんぜん「当たり前」なんかじゃないのに。

「私」がどうこうする以前から、
「世界」が完全、完璧にととのっているのは、
ほんとうのほんとうのほんとうに、ありがたすぎることなのに。

……とは言え、私だって、
「世界のあり方に感動! これ以上なにも求めません!」
みたいな心持ちのままに一日を過ごせるわけでは決してなく、
ふと気がついたときには、もう完全に、
「私が」「私は」「私の」が支配する世界に
心身まるごと没入していってしまっているのですけれどね。

でも、毎朝の「あたまポカーンの感動の儀」(たったいま命名しました)は、
じわじわと日常全体にしみわたっていっている感じはします。

ただ、「ここ」に戻ってくればいいだけ――

そういう「ここ」がいつだって用意されていることを
体感として知っているかどうかで、
やっぱり、生き方は変わってくると思うので。

ありがたいな、と思います。

 

お読みくださってありがとうございました。

よい一日をお過ごしください◎