【ブログ】《激痛注意!》『歎異抄』のほんとうの意味

2022年11月15日

本日(11月15日)19時よりTANDENラボにて開催される
第2回「肚で読む『歎異抄』講座。

現在、絶賛準備中です☆

いや〜、痛い。
痛いなんてもんじゃない。
激痛です、激痛。

親鸞さんの生き方を語るということは、
自分自身のあり方が問われるということ。

ごまかしがきかない。

それだけ真剣に生きた人だということ。
そこにシビれる! あこがれるゥ!

……とかふざけているけど、
私、もう、血まみれよ……。

今日の講座も、まじでとんでもないことになりそうです。
準備段階でこれだけ痛いんだもの。
間違いなく「神回」……
いや、「仏回」になりそう。

18時ぐらいまでにTANDENラボにご入会いただければ、
本日の講座をリアルタイムでご参加いただけます。
ラボメンバーは録画もご覧いただけますよ。
気になっている方は、この機会にぜひ。

【TANDENラボ ー TANDENで「いのち」を体感しよう ー】
月額 3,000円(税込)
https://community.camp-fire.jp/projects/view/464673

ずっと疑問だったんです。
『歎異抄』って、
なにに対しての「異」を「歎」く文書なんだろうって。

親鸞さんは、どこまでも「親鸞一人がための」救いとして、
南無阿弥陀仏の物語を受け止め続けた人。

決して、
「絶対に正しい教えだから」「究極の本物の知恵だから」
「誰にとっても救いをもたらす物語だから」
その世界観を伝えていたわけではないと思うんです。

っていうか、親鸞さんの発言に触れれば触れるほど、
彼は、そもそも、「正しい教え」やら「究極の真実」なんかに
まったく興味がなかったというか、
ハナからそこを問題にしていなかったことに気づかされる。

じゃあ、『歎異抄』って、いったい……???

この疑問が、さっき、解けた。
激痛に涙を滲ませながら、ひたすらに『歎異抄』を読み解いていたら、
不意に、解けた。

『歎異抄』の作者と言われる、親鸞さんの愛弟子の唯円さんは、
たぶん、こう言いたかったんだろう。

「人間として生きていく上での、どうしようもない痛み。
 その痛みを避けるため、感じないようにするために、お念仏の教えを、
 自分の都合の良いように捻じ曲げて、勝手に解釈してはいませんか?
 そんな態度は、親鸞聖人の生き方、つまり、真の念仏者のあり方とは、
 異なっていますよ」

……。
……。
……。

パタン。(倒れた)

ブシャーーーーーーーー!!!(血しぶき)

はああ……激痛。
激痛につぐ激痛。
こんなんじゃ、血がいくらあっても足りないよ……。

でも、ちゃんと痛がれる自分に安心してもいる。

痛みを避けるということは、
救いから逃げるということだから。

人間として生きる痛みと、真の「よろこび」は、
実は、いつだって、ひとところにあるのだから。

そのぐらいのことには、
私も、ようやく気づけるようになったよ。

いや、気づかせてもらったんだ。

歎異抄講座、ご一緒いただける方は、どうかおたのしみに。
鉄分を十分摂って(笑)流血に備えてください☆

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